夜になって、やっと酒が抜けてきた。 年はとりたくないものだ。  さて、ポチとなった帝王、堤義明前コクド会長。(以後、帝王ポチと略) マスコミ関係者、政界関係者ともに興味をもっているのは、逮捕本件である1)有価証券報告書の虚偽記載2)インサイダー取引のみならず、執行猶予がつくかどうか?いやいや、実刑判決がでるのでないか、どうか・・・のみならず、東京地検特捜部は、経済犯案件に、脱税をくっつけて、さらに詐欺罪ぐらいくっつけるのでないかと・・・・ のみならず・・・。 政界に捜査のメスが及ぶのでないかと、密かに期待というか、井戸端会議風にみている。実は、マスコミというのはいい加減なところがあって、事件や事故が大きくなれば、なるほど、つい、本能として喜ぶというか、ワクワクする人種なのだ。「他人の不幸で飯をくう」という、いやな習性をもっていることを、誰が絶対に否定できようか。  さて、本件の場合は、帝王ポチのみならず、帝王ポチのお友達である「バッチ」(政治家をさす。大物政治家は、「王冠バッチ」。猥褻容疑で議員を辞職した1年生議員ぐらいだと、「小物バッチ」[ザコバッチ」。という)、それも政局におよぶぐらいの、王冠バッチが「あがる」(「あがる」・・・逮捕、検挙されるの意味もあるけど、仮にそこまでいなくても、名前がでてくるぐらいでも、「あがる」、という)と、ワクワクしてしまうということなのである。  さて、帝王ポチと王冠バッチは、いかがなものであろうか? 実は、これには、今の小泉政権がおしすすめようとしている、郵政民営化の法案にも影響がおよぼす可能性が、まったくないとは、いえない。(マスコミ的に、この「まったくないとは、いえない」という表現は、実は巧みな表現で、本当なないかもしれないけれど、あったら、ワクワクするな、という期待値が含まれている)  では、この「まったくないとは、いえない」を検証してみよう。  西武王国は、父、康次郎が一大できづいた一大政商コンツエルン。政商といっても小物でない。帝王政商なのだ。 康次郎氏が終戦後、次々と買収した旧華族や旧財閥の邸宅などの跡地は現在のプリンスホテルなどになっていることは有名だが、西武(コクド)グループにたいする疑惑の目は、政官界と癒着、巧妙な税金逃れで、世界一の大金持ちにのし上がった堤式蓄財術にも向けられている。 堤氏の政界人脈の幅広さは、1982年の新高輪ホテル落成パーティーで、当時の鈴木善幸首相をはじめ、岸信介、田中角栄、福田赳夫の各元首相が顔をそろえ、公明党や民社党の首脳まで参加している。その中でもとくに注目されているのが、小泉首相との関係と、小泉首相の出身母体である清和会との関係なのだ。 出回ったコクド・堤と政界の癒着怪文書  政界では、すでのこうしたたぐいの怪文書が数種類でまわっている。 永田町の関係者によれば、「これまで、ハンナンや、日歯の事件で経世会・旧橋本派がおいこまれて、さらに政界でのイニシアチブをとれなくり、結果的に、小泉政権のやりたいようになってしまった。 コクド・堤の癒着関係は、小泉首相の出身母体である清和会・旧森派がよりつよい。ここで、巻き返しをはかろうという意向もはいっていて、そのまま素直によみとることはできない。しかし、コクド・堤は政界、とくに自民党のタニマチ的な存在であったことはまちながいありません。 ただ、いわれているのが、堤しは、『ケチだ』という評判なのです。しかし、これは、コクドの関係者にきけば、『ケチ』で金をばらまかないのではなくて、下手に『金』を渡して、被害をこうむることを、以上に恐れたのです。これも常に、造反者の登場をおそれていた経営方針といっちしていますね。 堤氏にとって、1億、2億はポケットマネーの範囲です。ですから、つまらないヒモつきで金はわたさない。ヒモつきの金はださない。出すときは、ポーンとだす。 結果、総裁派閥や、派閥の領主クラスとのつきあいになる。中堅、若手などは相手にしません」  これも自ら国会議員になった康次郎氏からの遺言のひとつだというのだ。  では、政界との関係を整理してみよう。  堤義明氏は、父・康次郎氏(元衆院議長)から幅広い政界人脈受け継いだ。 そのポイントは、自民党全派閥に均等にパイプをもったこと。そして、その中で、常に政権派閥に軸足を置くことだった。「この実現のタメに、『金』をまくこともある。しかし、それは、『ヒモつきの金』としないことにあった。個別の便宜をはかったもらうことはなかった。 この関係をもっていれば、相手から(政権担当派閥から)頼まれなくても、いい話がながれてくる。という構図だった」(コクドの旧関係者)だというのだ。  堤氏の政界人脈をみていくと、当初は池田勇人・元首相の宏池会。池田氏は、堤氏に政界入りを勧めたというが、堤氏はこれを固辞しているという話は有名な話だ。 田中派全盛の時代には角栄氏に接近。同派を継いだ小渕元首相とは早大のサークル・観光学会で知り合い、大物になってからも、学生時代のような親交を続けていた。 小渕元首相の死後は経世会と疎遠になり、清和会(旧福田派)に軸足を移す。 父康次郎氏が岸信介元首相と懇意だったことで、清和会は赤坂プリンスホテルに事務所を設置。以来、清和会の本拠となってきた。 ポスト中曽根で安・竹・宮が政権を争った時、「安倍首相を実現させるために駆けずり回った」(前出の関係者)ことは有名だ。 この流れから、清和会・森派との関係がとりざたされるのは、やむおえないといえる。  小泉首相との関係は有名である。 これは、地元神奈川での用地買収以来の関係というから、小泉氏本人というよりも、父父康次郎氏と、小泉総理の祖父、父からの関係である。 小泉首相は会談、会食、宿泊などで全国のプリンスホテルをよく使う。この3年間で400回のホテル利用のうち200回以上、飯島秘書官の定宿も赤プリ。  有名な逸話として、 西武鉄道株事件が発覚する前に、清和会の大物政治家が、「義明氏とは一定の距離を置いた方がいい」 と小泉首相に苦言をていしたという話は密かに永田町にながれている。等の大物政治家と名指しされた人は、否定はしているが・・・。 『西武王国』その炎と影−側近No.1が語る狂気と野望の実録」(サンデー社)と題された本の著者は康雄氏の父親で、「西武の大番頭」と呼ばれた故忠三郎氏。 この本の中で、 「新横浜駅の建設予定地周辺は当時、自民党の大物政治家の関係者と一部の建設会社名義以外はすべて、神奈川県内にあった測量会社やその関係者名義にして西武が土地を押さえていました」  今は亡き父に代わって康雄氏はこう指摘しながら、元国鉄関係者の役割を感慨深げに証言する。 「元国鉄関係者は康次郎氏からたいへん信頼され、国鉄から情報を入手し、新幹線の新横浜駅と新大阪駅の周辺を西武に買い取らせていた人物の一人。当局からもマークされ、海外に逃避行していた時期がありましたが、その康次郎氏も東京オリンピックの年に亡くなった。今年は東海道新幹線開業四十周年、人生の皮肉な巡り合わせを感じますね」  という記述がある。 ここで登場する「神奈川県内にあった測量会社やその関係者名義にして西武が土地を押さえていました」という、関係者名義のなかにでてくるのが、祖父・小泉又次郎、父小泉純也の後援関係者だ。そのいくつかは、今の小泉首相の後援会メンバーである。 「癒着といわれれば、康次郎氏と祖父・小泉又次郎、父小泉純也以来の関係」(政界関係者) 小泉首相が、プリンス系を無条件のようにつかうのは、遺伝子ということのようなのだ。  これが、ポチ帝王と、王冠バッチ小泉首相との関係で、小泉首相みずから「親しくさせていただいています」と答えた背景だ。 問題は、ここで書いた程度の関係か、それ以上の関係か、ということなのだが、どうやら、ここに書いた以上も以下もないようなので、マスコミ的には、ワクワクも中ぐらいなりどころか、しだいとしぼんでいっている・・・というのが、現状なのであります。  この一点を突破する「ネタ」があれが、それは、いわゆる大スクープなのだが、今のところの私のアンテナにはひっかかっていない。 文責・北岡隆