これは、意外と知られていない事実なのだが、永田町というところは、他人の不幸を歓迎する。噂、スキャンダルが、上は内閣総理大臣から、下は1年生議員にまで襲いかかる。
 だから、閣僚に起用する議員の身辺調査が、「入閣の最大の条件」といわれる始末だ。政策能力より上に位置する。
 しかし、この最大の条件をクリアしたはずの、閣僚からも噂、風聞はたえることはない。ま、「大型総合版の噂の真相」とおもってもらえばよろしい。
 
 今月に入って中国国内では毎週の週末に反日デモが起こり、デモの一部は暴動化し北京の日本大使館や上海の領事館へ投石。また、日本料理店への破壊行われている。
 中国国内のデモに対し、町村信孝外務大臣は王毅駐日大使に抗議。
 17日には北京に飛んで李肇星外務大臣と会談。町村外務大臣は「謝罪と損害賠償」を要求したが、中国側は「歴史認識が違う。中国政府は日本に対して迷惑をかけたことは一度もない」と逆に突っぱねられてしまう。
 会談後、町村外務大臣はにやにやしながら「中国政府に対して遺憾に意を伝えたが、謝罪の言葉はなかった」と言うだけ。
 そういえば04年秋、小泉内閣の改造人事で町村信孝が外務大臣就任した後、スキャンダル話が出たことがある。
 先日、北岡がアウトライン(【政治】中国・町村信孝外務大臣じゃ・・・・?、【政治】町村外相、笑っているんじゃない!を書いていたのでそれを若干付け加える。
 
(続きへどぞ、その前に人気blogランキングへおしてくれたらうれしい)

 まあ漏れ聞こえてきた話というのはこうだった。
 
 01年4月の自民党総裁選挙で小泉純一郎が当選。森喜朗に継ぐ森派総理が誕生した。それから森派議員は我が世の春を謳歌。
 その年の秋、中川秀直、町村信孝ら数人の森派議員が中国へ行った。この時、ある議員は何を浮かれたのか、よせばいいのに「中国女性」を買春したというのだ。
 ところが、その現場にあろう事か中国公安当局が踏み込み、この議員を拘束してしまう。この議員は公安当局から情事の事情聴取を受けると共に写真まで撮られ、そのうえ1〜2日拘束されていたという。
 議員の頭文字はNかMという限定された噂だった。Nは廃刊になった某写真週刊誌で「愛人生活」を女が告白している。過去の情況からNへの疑いが濃かった。
 しかし、『事実は小説よりも奇なり』というかーー官邸の某大物秘書官が何とか調査機関を総動員して調べあげたという。
 その結論は
『あれはMのようだ」
 という話である。
 中国政府の町村外務大臣に対する態度は「なめきっている」という印象を受ける。
 この話はほんとうだったのかなーーと思えないでもない。
 別に現外務大臣が噂の人物だったというのではありません。
 あしからず。

文責・辻野匠師