「アダルトなチルドレン」という命名は週刊新潮さん。

 ごぞんじ「アダルトなチルドレン」1号は、不倫デートを報じられ、過去の美容整形疑惑がくすぶりつづけている佐藤ゆかりさん。

参考:アダルトなチルドレン・佐藤ゆかり様

 ここでもうひとりの、大物「アダルトなチルドレン」がその大物ぶりをアピール。
 片山さつきさん。元桝添さんの妻です。
片山さつき写真
 

 

 

 

 

 


あ!こっちは不倫デートでないです。 

 片山さつきと明日の日本を語る会
 平成18年7月10日
 ホテルニューオータニ ザ・メイン宴会場階「鶴の間」
 会費:20、000円

 詳細は:別館資料室:もう一人の「アダルトなチルドレン」・片山さつきさんのパーテイ

 ま、1年生のくせに、ホテルニューオータニなどで、資金集めパーテイなんかするんじゃない!という話はおいておいて、
 なんせ、大物だ。
 発起人に参議院のドン・青木幹生さん。次期総理の安倍晋三さん。いまや金をあつめることができる最後の政治家1号といわれている久間章生さん。麻垣康三(あさがきこうぞう)の谷垣禎一さん。福田康夫さん。森前首相の側近、中川秀直さん。いまや中国利権の筆頭になりあがりつつある二階俊博さん。ポスト小泉のダークホースでナベツネさんとゴルフした与謝野馨さん。まだまだ山っ気のある山崎拓さん。経済界の元ドン・平岩外四さんと、早々立つメンバーがそろっている。麻垣康三でいないのは、麻生太郎さんだけというメンバーだ。これなら元夫の桝添さんも必要ない。

 そして、そして、そして、

 最後のとどめが、特別講演者は
 
 
読売新聞グループ本社代表取締役会長にして、
 主筆にして、
 読売巨人軍代表取締役会長の、

 渡邉恒雄様・・・・・・・。

 どだ!まいったか?

参考:

衆議院議員 片山さつき 生年月日 1959年5月9日
出身地 埼玉県さいたま市
出身大学 東京大学法学部
フランス国立行政学院
学位 法学士(東京大学)
前職 財務省国際局開発機関課長
役職 経済産業大臣政務官
世襲の有無 世襲ではない
選挙区 静岡7区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党の役職 -
会館号室 衆・第一議員会館526号室

片山 さつき(かたやま さつき、1959年5月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員である。元、財務官僚。

略歴
 旧姓は朝長(ともなが)。学歴は東京大学法学部卒業。学位は法学士(東京大学)。大学卒業後、大蔵省入省。1986年、大蔵省在職中に参議院議員の舛添要一とお見合いで結婚するも、1989年に離婚する。
 1990年、現在の夫である産業再生機構執行役員の片山龍太郎と出会い再婚(1984年当時交際していたがフランス留学を機に自然消滅。その後再会し90年に再婚した)。政府再編後は財務官僚として女性初の財務省主計局主計官(防衛担当)を勤めた。2005年8月の衆議院議員選挙において、静岡県7区より自由民主党候補として立候補、城内実を破って当選した。現在、経済産業大臣政務官。


事績
 学生時代はミス東大に選ばれたと言われているが、当時の東大ではミスコンテストはなく、雑誌『non-non』のキャンパス特集企画で「ミス東大」と取り上げられたことからそのように呼ばれている。(本人談)

 2005年8月の参議院の郵政民営化関連法案の否決による、衆議院解散(郵政解散)を受け、国際局開発機関課長を最後に財務省を退官。自民党内の郵政法案反対候補者の落下傘候補、所謂「刺客」として、城内実議員の選挙区である衆議院静岡7区より出馬し、小選挙区で接戦の末に当選した。

 2005年10月19日に行われた党首討論の感想を求められた際、民主党の前原誠司代表(当時)を「こいつ」と呼び、多くの国民から批判された。(批判内容・公党の党首をコイツ呼ばわりするのは不適切である)

 2006年2月には名刺に記載された英語のParliamentary Secretary(政務官)の肩書きを、勝手にVice-Minister(副大臣)に書き換えて国際会議の場で混乱を起こした事件が問題化したが、最終的にVice-Minister(副大臣)の肩書きが容認される。

 「SPC法とは何か」という本を出版している。

年譜

1959年5月 埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。
1975年3月 東京教育大学附属中学校(現筑波大学附属中学校)を卒業。
1978年3月 東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)を卒業。
1978年4月 東京大学教養学部文科一類入学。
1980年4月 東京大学法学部に進学。
1982年3月 東京大学法学部を卒業。
1982年4月 大蔵省(現・財務省)入省、主税局勤務。
1984年7月 フランス国立行政学院留学。
1989年7月 広島国税局海田税務署長。
2004年7月 主計局主計官(防衛担当)。
2005年7月 国際局開発機関課長。
2005年8月 財務省を退官。
2005年9月 第44回衆議院議員総選挙に初当選。
2005年11月 経済産業大臣政務官に就任。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

以上

 オフイス・マツナガのナンバー4にして、
 ブログだけの主筆
 北岡隆志拝