「今回の自民党と民主党の『大連立』構想から、すぐに戦中の大政翼賛会をイメージする連中がいる。民主党やマスコミにも結構多い。『大連立』と聞いて、とっさに『大政翼賛』と反応してしまうところに、いまだに、日教組教育の残滓がある。困ったもんだ。」という電話がマツナガから一昨日かかってきた。
 マツナガは「『大政翼賛会』というと歴史的なテーマだから、遠藤顧問の分野でしょ。何か書いてよ」と言うから、「興味ないなぁー」と答えると、「じゃ、『大連立』と『大政翼賛会』が同じだという論法でいいの?こんな歴史認識でいいの?」とたたみかけてきた。「それは違うよ」と答えると、「じゃー、頼んだよ」と一方的に電話を切られてしまった。

(編集注:参考恥をさらすようだが、是非もう一度 2007年11月07日

という訳で、大政翼賛会について書く。



 まず、フリー百科事典『ウィキペディア』を引くと、
「大政翼賛会とは1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在していた公事結社である。国粋主義的勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ左右合同の組織である。」
 と極めて簡潔明瞭に説明されている。この後、「概説」「性質」「歴代総裁」「関連項目」と説明が続くが、非常によく纏められていると思う。

 大政翼賛会の性質は「公事結社」であり、「政治組織であれば当然あるべき綱領・宣言の類は、首相であり翼賛会総裁の近衛(文麿)の口からは発表されなかった」という事実も記されている。
 歴史の専門書ではなく、一般向けの百科事典、しかもネットで誰にでも検索できるものにも、今はこのような事実がきちんと書かれているのである。ここには「日教組教育の残滓」は見当たらない。

 マツナガの周囲(政治家、マスコミ等)は私も含め、特に歴史教育に関しては、反日的で事実を曲解しているものを学ぶことが多かった(教科書のほとんどは、今も似たようなものだろう)。ただ、自分で事実を調べよう、あるいは真実を探求したい、という素朴で真面目な気持ちさえあれば、多少面倒ではあるが、まずは事典、辞書から紐解いていき、参考文献を読み、歴史書の場合は、巻末や注記にある史料(原典)までも調べるべきである。
 この程度の努力、労力を惜しみ、過去に染み付いたイメージをそのまま抱き続けている政治家やマスコミ人が、今、あまりにも多いのではないか。

 大政翼賛会については、文庫本の類では、伊藤隆『昭和史をさぐる』朝日文庫、同『近衛新体制』中公新書、酒井三郎『昭和研究会』などが十数年前から出版されているし、戦時中の当事者(政治家、官僚、軍人等)の文書、書簡、日記なども数多く出版されている(たとえば、みすず書房『現代史資料』、同『宇垣一成日記』、同『小川平吉関係文書』、岩波書店『西園寺公と政局』、山川出版社『真崎甚三郎日記』、東大出版会『木戸幸一日記』、読売新聞社『矢部貞治日記』等)。 

 歴史の専門家は、上記以外にも国立国会図書館の憲政資料室や戦時中の当事者の遺族が保管している史料にあたり、きちんとした史料批判(調査、分析して歴史的事実と思われるものを絞り込む作業)を行ってから論文を執筆するわけだが、政治家やマスコミ人は、当然そこまでする必要はないだろう。

 ただし、活字となった史料はある程度読むべきだし、その時間がない場合は、上記の史料批判をきちんと行っている専門家の著作ぐらいは読んでおくべきである。

 歴史認識に関して我々は、今のところ、自分自身の努力で「日教組教育の残滓」を払拭しなければならない。

 さて、大政翼賛会は、その設立の意図がどうあれ、政治組織ではない。
 1941年(昭和16年)の第76帝国議会では貴族院、衆議院の双方で、同会の予算審議の際に批難の声が上がった。近衛首相は現状の大政翼賛会に憲法上の問題点がある(一国一党ということになると、大日本帝国憲法の規定に数々の違反をする)ことを事実上認め、平沼騏一郎内相は、同会は政治結社ではなく公事結社であり、たとえば「衛生組合」のようなもの、という答弁をしている(この認定に伴って、当然、政治活動は禁じられる)。
 
 結論から言うと、昭和16年2月に大政翼賛会は機構改革と人事の変更を余儀なくされ、同年3月末には副部長以上の役員が総入れ替えになり、事実上生命を失ってしまったのである。

 大政翼賛会がどのような経緯で設立されたかは、当時の国内外の状況、特に「新体制」と言われる主張や運動をまず理解する必要があるが、ここでは詳しく触れない。
 ただ、当時の世界的な戦乱状態(欧州でもアジアでも「戦争」が現実にある)を念頭に置いて、至急それに対応できる国内体制を構築しなければならないという主張が国内の各方面から起こっていた。国民全体を国民自身の力に基づいて動かしていく新たな政治力が求められていたのである。

 政治(政治家、官僚、軍人等)、経済(財界、中小企業者、労働界、農村等)、文化(新聞・雑誌など言論界、学界、技術者、教育者、芸術家等)の各方面からその必要性が叫ばれるようになった。
 それぞれの方面に、主義主張を異にする幾つかのグループが存在していたが、奇妙なことに近衛文麿を総裁とする新しい組織を結成しようという点では一致していた。勿論、近衛自身も既成の政党ではなく、国民各層の力を結集した新党(一国一党)によって、難局を乗り切る意気込みであった。

 しかし現実には、あるグループはナチス党やファシスト党のようなものを目指し、また他のグループはソ連の共産党のようなものを目論み、さらに別のグループは戦争完遂のための親軍党が結成できればと願い、また別の一派はたんなる目前の政権獲得のための運動が目的であった。

 まさに、『同床異夢』ともいうべき状況のまま、大政翼賛会は発足してしまったのである。

 この歴史的事実は、「戦前の日本は、結局、ファシズム国家となりえなかった」ことを物語るものであろう。

 我々が授業で習った、あるいは史料批判が十分なされていない著作から刷り込まれたイメージ、つまり「ファシズムの一環としての大政翼賛会」は真の姿ではないのである。

追記:大政翼賛会を中心に大東亜戦争下での軍部の方針を追認し、支える体制を「翼賛体制」と呼ぶ人もいるが、体制の実情は『同床異夢』の状況に変わりはなく、結局は反発・混乱が生じて収拾がつかないまま終戦を迎え、とてもファシズムと呼べるしろものではなかった。
 なお最後に、私には小沢一郎氏の弁護をする気持ちは全くないことをお断りしておく。

文責:遠藤顧問

編集注:参考 大政翼賛会政治-youtubeで見るニュース
         日教組政治-youtubeで見るニュース