うちのようなろくでもないブログに時々、コメント寄せていただく、

「その筋さん」

 
どこのどなた様か、一切、わからないのだけど、寝ていたボスがおきあがって、「その筋さん」のコメントをみて、うちの内部、外部スタッフ全員に、「以下をメールしろ!」さらに、「硯と筆の用意!半紙!」といいだした。

 ま、基本的に気まぐれな人だから、突然、訳の分からんこと言い出したり、突然、深夜に全員集めてみたりするので、たいがいは、慣れっこなんだけれど、ま、小学校いらいのことなんだけれど、硯と墨をしこしこすって、
 
「墨の準備できました」とやや、仰々しくやってあげた。

 うむ!と達筆とも、手慣れたともいえない手つきで書をあらためたのが、

 鋤奸杜倖、要放他一条去路、若使之一無所容、譬如塞鼠穴者

「どや?」というけど、実は、こんな風になっていた。

 鋤奸杜倖、要放他一条去路 
 若使之一無所容 譬如塞鼠穴者


 つまり、全体のバランスを考えずにしたためたものだから、だんだん下のほうにくると、字が圧縮されていた。

「あの、まさかこれを、スキャンして、アップしろとかいいませんよね?」
 オレは、従順な部下だ。具申した。
「ダメか?ちと、バランスは悪いが、気合いというか、気持ちがはいっている」
 とはボス。まずい!本人はその気になっている!
「その、またアンチキムチさんから、脇が甘いとか、いい加減とか、飛ばし屋とか突っ込まれますよ」
「脇が甘いのも、いい加減なのも、飛ばし屋だというのも、一面、事実である。であるからして、何か問題あるか?」とボス。
「いや、ボスがよくても、周囲がそれでとばっちりくうんですよ。周囲迷惑ということも考えてください」とオレ。

「そか周囲に迷惑か・・・・なら、やむを得ない」

 オフイス・マツナガのスタッフになって1年ちょいだけど、だんだん、ボスの「取り扱い説明書」の内容がわかってきた。この人は、直接の直言や、文句や、買収はまったくきかないが、ボス本人でなくて、周囲が迷惑すると、いえば、わりと素直にいうことを聞く。これは、ボスとは腐れ縁の辻野記者から、こっそり教えてもらったわけです。

 で、鋤奸杜倖、要放他一条去路、若使之一無所容、譬如塞鼠穴者 なんですが、

 中国の古典の菜根譚さいこんたん)で、

 奸(かん)を鋤(す)き、倖(こう)を杜(ふせ)ぐには、他の一条の去路(きょろ)を放つを要す、もしこれをして一も容(い)るるところなからしめば、たとえば鼠穴を塞(ふさ)ぐもののごとし

 悪党や野心家を一掃するためには、一筋の逃げ道だけは空けておいたほうがよい。もし、どこにも逃げ場がないとすると、彼らは袋のネズミのような状態となって、苦し紛れに大切なものをかじりつくしてしまうからだ。

 という意味なのです。
 ボスがよくいう、「ペンで、止(とど)めは刺すな!」と、なんかあい通じるものがあったようなのでした。

 しかし、「その筋さん」のコメントをみて、菜根譚さいこんたん)の一説とわかるとは、ろくでなくて、いい加減で、脇が甘くても、さすがだとおもったのですが・・・・・・。

「うん?菜根譚さいこんたん)ってなんだ?菜食主義の献立かなにかか?」(間違いなくボス談)

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菜根譚さいこんたん)は、中国の古典の一。別名「処世修養篇」(孫鏘の説)。時代末の人、洪自誠(洪応明)による随筆集。中国ではあまり重んじられず、かえって日本の金沢藩儒者「林そんぱ」(1781-1836)によって文化5年(1822)に刊行され、盛んに愛読されてきた。(「そん」=[廾(くさかんむり)に孫]、「ぱ」=坡)

菜根譚という書名は、朱熹の撰した「小学」の善行第六の末尾に、「汪信民、嘗(か)って人は常に菜根を咬み得ば、則(すなわ)ち百事做(な)すべし、と言う。胡康侯はこれを聞き、節を撃(う)ちて嘆賞せり」という汪信民の語に基づくとされる。(菜根は堅くて筋が多い。これをかみしめてこそものの真の味わいがわかる。)

「恩裡には、由来害を生ず。故に快意の時は、須(すべか)らく早く頭(こうべ)を回(めぐ)らすべし。敗後には、或いは反(かえ)りて功を成す。故に払心の処(ところ)は、便(たやす)くは手を放つこと莫(なか)れ。(前集10)」(失敗や逆境は順境のときにこそ芽生え始める。物事がうまくいっているときこそ、先々の災難や失敗に注意することだ。成功、勝利は逆境から始まるものだ。物事が思い通りにいかないときも決して自分から投げやりになってはならない。)

などの人生の指南書ともいえる名言が多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 なのです。

参考:菜根譚-youtubeで見るニュース by オフイス・マツナガ



 

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「ほほう、昔の人というか、昔の中国はいいこという人がいたんだな。それなのに、今の中国は、なんであんなにろくでもなくなったんだ?」)(ボス談)
 
 いや、それは中国共産党というか、もともと中国人はろくでなかった。ろくでもないから、そのままじゃだめだということで、「こういういいことを言う人がでてきた」というあたりでいかがでしょうか?つまり、ろくでもない比率に比例して「いいことをいう偉人が誕生する」というあたりで、いかがでしょうか?
 
「ほほう、おまえ最近、文章もうまくなったけれど、たまにいいこという」(ボス談)
 
 これは、「事務所のボスがろくでもないから、事務所の内部、外部スタッフや、ボスの友人などがまともにならざるえない」(遠藤顧問談)

 という原理なんですが、こんなことをボスに直接はいえるのは、遠藤顧問ぐらいしかいません。

 で、ボスが、「菜根譚」をアマゾンで注文したのですが、注文したのはこちらでした。
 
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以上

追加:

富貴家宜厚、而反忌刻、是富貴而貧賤其行矣、如何能享

富貴の家はよろしく厚なるべくして、反(かえ)って忌刻(きこく)なり、
これ富貴にしてその行ないを貧賤にするなり、いかんぞよく享(う)けん

恵まれた環境にある人は、心が豊かで温かくあるべきなのに、かえって、疑い深くて不人情である。
物質的には豊かでも、心は貧しく卑しいためだ。


善読書者、要読到手舞足蹈処、方不落筌蹄、
善観物者、要観到心融神洽時、方不泥迹象

善く書を読むには、手舞い足蹈(ふ)むところに読み到らんことを要す、
まさに筌蹄(せんてい)に落ちず、
善く物を観るには、心融け神(しん)洽(やわ)らぐの時に観到らんことを要す、
まさに迹象(せきしょう)に泥(なず)まず

書物を読むなら、その真髄にふれて、踊り出したくなるまで読め、
そうしてこそ枝葉末節にとらわれずにすむ。
物事を観察するなら、その本質を見とおして、わが精神がそれと一体となるまで観よ。
そうしてこそ表面の現象に惑わされない。

以上