イージス艦衝突事件。

 艦長
 当直士官
 見張要員

 なぜ、この3者がでてこないのか?
 なぜ、この3者の名前がでてこないのか?
   なせ、この3者に取材できないのか?

「海上保安庁による捜査中」(防衛庁)

 というのが、表向きの理由。
 で、どこかのマスコミが、名前を割り出し、当然に直撃取材を試みた。
 ま、うちもやった。

 強烈なクレーム。

 民主党さんは、石破防衛相の引責問題うんじゃいっている間に、この3者の証人でも参考人でもいいから招致した方がいいんじゃないか?
 だめもと?
 やってもみないで、「なんで、ダメもとなんだ?」

 せめて、艦長とか、当直士官の名前ぐらい公開してもいいんじゃないか?
 
 これが非常識とおもわれるであれば、うちは、大変に非常識です。
 どうもすみません。

以上

 追加:

 あとご艦長 舩渡健(ふなとけん)一等海佐(52)の名前はでています。

 

舩渡健(ふなとけん)一等海佐(52)

2007年03月15日あたご舞鶴配備へ

 海上自衛隊5隻目のイージス護衛艦「あたご」の引渡式・自衛艦旗授与式が15日三菱重工業長崎造船所で行われる。 あたごは平成14年度計画の改こんごう型1番艦で基準排水量7700トン、全長165メートル、最大幅21メートル。
 配属先は舞鶴の第3護衛隊群第63護衛隊で19日朝、艦長の舩渡健1等海佐以下乗組員約300人と共に舞鶴港に入港、午前10時から歓迎行事が行われる。 舞鶴基地は「みょうこう」「あたご」のイージス艦2隻体制となり、第63護衛隊の護衛艦「しまかぜ」が佐世保の第62護衛隊へ転属する。


防衛庁 平成17年1月定期昇任人事 (2005.01.01発令)
1等海佐に昇任

(海幕衛生官)
重永 敏朗 2海佐
(海幕艦船課電気班長)
道上 正邦 2海佐
 (しまかぜ艦長)
舩渡 健  2海佐
 (潜水艦隊情報主任幕僚)
田中 太彦 2海佐
(たちかぜ艦長)
落  修司 2海佐
(舞鶴地方総監部人事課長)
由岐中 一生 2海佐
(統合幕僚学校教官)
杉山 義和 2海佐
 (海幕教育課航空教育班長)
堀  博幸 2海佐
(海自幹部学校)
藤田 始  2海佐
 (海幕航空機課航空機班長)
北野 修司 2海佐
 (佐世保造修補給所武器部長)
大林 一洋 2海佐
 (海自幹部学校)
福永 賢太郎 2海佐
(海自幹部学校)
山崎 浩一 2海佐
(護衛艦隊幕僚)
中畑 康樹 2海佐
 (海幕先任副官)
菅野 翼  2海佐
 (海上幕僚監部)
森田 義和 2海佐
(海上幕僚監部)
湯浅 秀樹 2海佐
(補給本部補給計画課長)
大力 正富 2海佐
 (あまぎり艦長)
大判 英之 2海佐
 (海上幕僚監部)
出口 佳努 2海佐
(横須賀病院検査研究課長)
菅沼 利行 2海佐
(徳島教育航空群幕僚)
横野 正和 2海佐

 

DDG177 あたご (M)

 03/15/2007 就役
艦長 舩渡 健  1海佐
 03/15/2007
副長 田中 亮二 2海佐
 03/15/2007
砲雷長 下野 善彦 2海佐
 03/15/2007
機関長 中村 俊雄 3海佐
 03/15/2007
船務長 安宅 辰人 3海佐
 03/15/2007
補給長 渡辺 悟  3海佐
 03/15/2007
 
 また、当日の当直士官の名前もわかっていますが、いかぶんにも、取材させてもらえません。
 なお、見張要因に関しては、複数名がでていますが、当方ではまだ、断定できていません

 

 ちなみに、「なだしお」の艦長は、「山下啓介」(当時39歳) 「2等海佐」
 艦長に就任したばかりでの事故。
「山下は幹部候補生学校をトップクラスで卒業した エリート中のエリートだった
地味な潜水艦乗りから 海上幕僚長が出るとしたら 山下しかいないと言われたほどの逸材」と当時報道される。

  なだしお事件

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経緯−
昭和63年7月23日午後3時38分頃、神奈川県横須賀港北防波堤灯台の東3キロの海上で、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」(2200トン)と大型釣り舟「第一富士丸」(154トン)が衝突。第一富士丸は2分後に沈没し、釣り客と乗員合わせて30人が死亡、17人が重軽傷を負った。死亡した30人の内、29人が沈没した船体の中から発見され、親子連れの幼い子供も含まれていた。

第一富士丸は、昭和45年にサケ・マス漁船として建造され、その後釣り舟観光船として改造された。衝突当時、乗客の大部分が船首のサロンに居た。このサロンの出入り口は左舷側の一ヶ所しかなく、左舷側が下になって沈没したため、乗客は避難する間もなく船と共に沈んでいった。

「なだしお」は伊豆大島北東沖での艦隊訓練を終えて横須賀基地に帰港途中で、「第一富士丸」は横浜から出航し釣りのポイントとして有名な大島付近を目指していた。

−海難審理−
「なだしお」の山下啓介艦長と「第一富士丸」の近藤万治船長はそれぞれ相手側に責任があるとして提訴したが、海難審判庁は両船長を業務上過失致死傷と業務往来妨害罪で起訴し、審理を開始した。

その後、高等海難審判庁の裁決で「なだしお」の回避の遅れと「第一富士丸」の著しく、接近してからの左転に問題があったと指摘した。
平成4年12月10日、横浜地裁は山下啓介元艦長に禁錮2年6ヶ月(執行猶予4年)、近藤万治元船長に禁錮1年6ヶ月(執行猶予4年)の判決を下した。