最近、松本歯科大学の特任教授と駒沢女子大学の客員教授を務めることになった、飯島勲秘書官。なんでも、政治の現場で培った知識や経験を一般教養として大学生に教えていくもので、飯島氏は、
「少しでも社会に恩返しできれば」と抱負を語っている。
 しかし、女子大での政治学の講義というが、あの風貌に若い女学生がおびえなければいいがと心配する人も・・・・。
 もっとも、テンプラ学生ということもあるから、女性記者が飯島客員教授の講義に忍び込むかもしれない。いや、すでにこの画策をしているマスコミもある。

 最近の「最後の大物秘書官」・飯島勲氏の語録。

「小泉の秘書として35年。今は秘書を辞め自由な身だ。永田町と関係のないところで静かに働きたいと言う気持ちだ。
 私が永田町を去ったのはこれからの政治は『国民が分かりやすい政治を期待したい』と言う感じがしたからだ。
 昨年11月5日に公設秘書を辞めた。これまで総理大臣、厚生大臣、郵政大臣の秘書官をやり辞した事は衆議院議員秘書を全てやりきった達成感でいる。これからは別の立場でもう少し自由に人生を探したいと言う心境だ。
 政治家秘書になる気はない。秘書は二君にまみえない、政治家は小泉純一郎ただ一人というのが私の人生哲学である。
 私はこれまで政治家の秘書として金にまつわることにはタッチしなかった。これからは付き合ってきた人達を財産とし、恩を返すつもりで皆さんの為に役立ちたい」

「福田内閣は役人の言いなり内閣、役人のお膳立て内閣でリーダーシップがないと言われているそうだがこれは違う。福田内閣は役人は信用しないが政治家も信用しない。その表れが懇談会、補佐官の乱発に繋がっている。
 70年以上の内閣の歴史で公約もビジョンもなく総理になった世界にも希な例が福田内閣だ。ビジョンが無しに内閣改造も選挙も連立もへったくれもない。
 国家観が一致しない状況で大連立はあり得ない」

(2月29日 中日新聞社主催の講演)

 

 飯島元秘書官は昨年9月、安倍晋三総理が突然「総理をや〜めた」というところから人生の進路が変わったのである。
「君らが50人集めれば小泉を出馬するよう説得する」
 飯島元秘書官は小泉チルドレンをけしかけ、反福田攻勢をかけようと動いていた。
 そんな中、小泉元総理が
「福田康夫さんで良いんじゃないか」
 と言い出したから大変。流れはバーッと福田康夫擁立に傾いていった。
 これを一番悔しがったのが福田嫌いの飯島本人である。 
 飯島本人はその後、小泉事務所に辞表を出す。
 実は、小泉元総理はそんなに福田嫌いでもない。
 ただ、もう一度総理をやる気がなかっただけのようで、
 肝心の小泉首相は、
「飯島君がもう一度、官邸に戻りたがったからじゃないの」
 と他人事のように知人に漏らしている。 

「小泉元総理にはしごを外された」格好の飯島秘書官だけど、実は、小泉元総理の腹の内を読み切れなかったことが敗因だったようだ。
 それでも飯島元秘書官は、

「俺を裏切ったヤツが3人いる。中川秀直、片山さつき、小野次郎だ。こいつ等だけは許せない」

 秘書辞任後、知人に語っている。  
 中川秀直は福田康夫総理への道を造った人物。片山さつき、そして官邸の秘書官だった小野次郎は福田康夫の流れが出来るといち早く「福田総理誕生」の旗振りをやった人物である。
 こうした色んな思いが募って永田町から去ったと言うことだそうだ。
 秘書辞任後「危機管理能力」「永田町・霞ヶ関」に豊富なネットワークを持つ人物として「我が社に来て欲しい」と言う声も多々あったそうだ。
 現在は渋谷区にあるフランス系の証券会社に顧問として入っているという。
 千葉の自宅や長野の実家を行ったり来たりの生活を送り、永田町にも情報収集している日々だという。
 4月1日からは冒頭で紹介したように「駒澤女子大客員教授」に就任して若い女学生相手に政治学を講義するそうだ。
 
 自民党関係者が言う。

「飯島さんは秘書の分際を越えてあまりにも目立ちすぎた。秘書があんなにやっては行けないよ。5年以上も官邸にいれば本人も増長してしまったのかね。最後の頃は対人関係にも疑心暗鬼になりごく親しい人物としか話さないようになってしまった。
 小泉チルドレンの中ではなぜか杉村太蔵君を可愛がっていた。北海道1区に自民党公認が得られないのなら無所属でも立ってみろとけしかけたのも飯島さんだ。
 次期総理は与謝野馨さんが良いと言っているが、これは自分を裏切った中川秀直さんに対する嫌がらせなんだろう。これについては小泉元総理と意見が違うようだ。
 これから飯島さんが何をするか分からないが、小泉事務所に帰ることは絶対無い」

 それでも定期的にマスコミに登場しては、「小泉再登板」とか、「小泉新党」をぶちあげる。しかし、そのたびに、小泉首相が「私の再登板はありえない」と否定した。

 しだいに、「飯島神話」が衰退していくかにみえる。
 最近になって、いまだに小泉事務所を取り仕切っている、実姉の小泉信子さんが、

「飯島?飯島はうちを辞めた人です」

 と発言した。
 節々に、「小泉再登板」「小泉新党」をぶちあげる飯島秘書官にたまりかねての発言だといわれている。

 もっとも、この発言には、二通りの解説がある。

「小泉首相との関係は完全に切れた」凋落説。
「いや、元のサヤにおさまっている」参謀役としての復帰説。

 凋落説

「飯島秘書官は、いまだに政界に未練がある。しかし、みずから立候補して国会議員になるということは考えていない。そんな面倒なことをするわけがない。結局、小泉首相をたてて、自分の永田町での影響力を誇示するしかない。
 一時は、小泉チルドレンが、こぞって飯島詣でをした。
 しかし、しだいに、『飯島は何も力がない』ということがいわれだした。それは、選挙対策委員長に古賀誠が就任したことも大きい。
 選挙の公認で、刺客といわれた小泉チルドレンが、どんどん、公認からはずされている。あとは、杉村太蔵がどうなるかでしょう。 北海道1区の公認ははずされた。それでも杉村太蔵は、飯島秘書官のところに頻繁にかよっているけど、最近は、その足も遠のいたといわれています。飯島秘書官が『なんとかする』といったとされますが、北海道で新党大地の鈴木宗男に頼み込んだり、田中真紀子のいる新潟5区擁立を画策したりしていましたが、鈴木宗男は実刑が確定して、議席をうしない、収監されることは確実。新潟5区では、肝心の新潟自民党県連が猛反発というわけです」(あえて匿名)

 参謀役としての復帰説

「もともと信子さんとは、おりあいが悪かった。小泉事務所で、飯島さんを『飯島』と呼び捨てにできるのは、信子さんだけ。小泉元首相だって呼び捨てにしない。小泉元首相と飯島秘書官はそんな生半可な関係でない。たんなる政治家と秘書という関係でない。小泉元首相が飯島秘書官であり、飯島秘書官が小泉元首相という関係。
 最近でいえば、小泉元首相が抵抗族の頭目とみなされた旧敵、古賀誠・自民党選挙対策委員長と密談したり、道路財源の一般財源化の方向をうちだしたりしている。
 古賀と会ったのは、小泉チルドレンをよろしくと伝える狙いと、道路財源の修正協議について、一般財源化の方向でお手柔らかにと協力を要請した。
 この参謀役は、まさに飯島秘書官。
 小泉元首相が、やわらかい表現でお願いする裏には、飯島秘書官がいる。
 飯島秘書官風にいうなら、

『おい、わかっているな!小泉チルドレンをあまり粗末にあつかうと、何がおきるかわからんぞ!道路財源でかたくなに一般財源化に反対していたら、何がおきるかわからんぞ!あなたの話は1つや2つどころでなくて、3つや4つは握っているんだからな。いつも月夜の夜ばかりじゃねぇ

 という強烈な沈黙のメッセージがある。だから、小泉の裏にはかならず飯島がいる。車の両輪」(あえて匿名)

 やはり、最後の大物秘書官である。

 また、辻野記者が取材というか、遊びにいきますので、出入り禁止とか、邪険にしないでください。うちのボスは、出入り禁止のままでいいですけど・・・。

以上