今、話題になっていて、すでに売り切れ状態になっているのが、
シナリオ別冊 2008年6月号
脚本家白坂依志夫の世界
シナリオ作家協会が発行する雑誌で、基本的にはうちのようなろくでもない雑誌記者とは、無縁な世界だ。しかし、元妻(つまり最初の妻。前妻でない方)が、女優だったということもあってか、微妙なところで、女優さんとか、シナリオとか、映画とかの人脈があるのが、当方のボス。
映画といえば、映画制作者の小滝祥平さんとは高校の同級生ということもあって、ご交流があるけれど、どうやら、「ボスと友人だという一点で、相当の迷惑をこうむっているとおもわれるのが、小滝祥平さんだろう。いわゆる風評被害である」(北岡記者談)という話があるから、ボスとの交流は注意したほうがいい。
なんせ、小滝さんが制作するといきいて、防衛庁や防衛省などに品良く掛け合って、イージス艦や戦闘機やヘリコプターを、貸し出しさせたりするのはいいとして、なんせ、品良く掛け合うものだから、後処理が大変である。つまり、「ボス=諸刃の刃」なのだ。小滝さん、ごめんなさい。悪いのはすべてボスです。いつでも切り捨ててください。こちらで廃品回収します。
ところで、小滝祥平さん制作で、うちの遠藤顧問も制作に参画した藤沢周平原作の映画「山桜」が5月31日から、全国上映されるので、ボスとはまったく無関係に見てください。これはいい映画です。
映画 「山桜」・・・・これをみてから刺されろ! 2008年04月10日
別冊シナリオ
脚本家 白坂依志夫の世界
「書いた! 跳んだ! 遊んだ!」
この本ですごいのは、これまで連載した「人間万華鏡」をまとめた部分である。
「『人間万華鏡』を本にすると聞いた時、全作品についてインタビューしてみたいと思った。笠原和夫のルサンチマンとは違うモダニズムをベースにしたアルチザンを勉強しようと思ったのだ。『人間万華鏡』を下品だとかエロ本だとか言う連中がいる。お前ら、それでもモノ書きかと呆れる。あの連載より面白いシナリオが何本載っただろうか。人間の上っ面ではなく『裏』を描くのがシナリオだと俺は思っている。」(荒井晴彦 本書寄稿文より)
と荒井晴彦さんが、紹介しているけれど、天才といわれた脚本家の、華麗で妖しい交友関係を、赤裸々に告白したエッセイが「人間万華鏡」なのだ。
<登場の人物は>
左幸子 三島由紀夫 寺山修司 市川雷蔵 太地喜和子 増村保造 山本夏彦 越路吹雪 蔵原惟繕 水木洋子 嵯峨三智子当方のyoutubeで見るニュースで「脚本家 白坂依志夫の世界」ということで、エントリーしみたけれど、登場人物がすでに、物故者だったりするもので、あまりうまくヒットしていません。こりゃ、ソフト開発者にもう一度かけあわないといけない。
でも、なんとか、脚本家 白坂依志夫の世界を紹介してみます。
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白坂氏の女優遍歴は左幸子(1930−2001)から始まる。
左 幸子(ひだり さちこ、1930年6月29日 - 2001年11月7日)は女優。
富山県下新川郡朝日町 (富山県) 朝日町出身。本名額村 幸子(ぬかむら さちこ)
骨董店を営む両親の三男五女の長女として生まれる。五女は女優の左時枝。
東京女子体育専門学校(現・東京女子体育大学)卒業後、都立第五商業高校の体育・音楽教師をしながら俳優座の委託生となり演技を学ぶ。
1951年『家庭よみうり』のカバーガールを務めたことから新東宝の野村浩将の目にとまり、翌年『若き日のあやまち』の主演で映画デビュー。
映画会社には所属せず、一匹狼の女優として活動。自己主張が強く扱いにくかったのは有名な話。
左幸子の詳細
<成城や学習院や、洗練された女子学生とばかり、ツキあっていた私にとって、左さんは異星人のようにみえた>
と白坂氏は書き、ある夜、左幸子にこう口説かれた。
<「岡本かの子の、”かの子遼乱”を読んだ?読んでるわよね、勿論。あの中に、誕生日に、恋人に自分のすべてをあげるってのが、あったでしょう?今日、私の誕生日なのよ」左さんは、私の目をじっとみすえていう。
左さんは、当時の流行演歌歌手T・Yとの確実な噂をしっていた私は、内心のオカシサをこらえながら、その夜、ベッド・インした>
<田舎くさい強引さ、ズルさ、泥くささ、あふれ返るバイタリティ>に氏は辟易してわかれを告げる。
<ベッドでの演技よりも、数段凄い騒ぎを演じてみせた左が、ケロッとして羽仁進監督との婚約を発表しのは、わずか1ヶ月後のことだった>
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渥美マリ(57)とのベッドシーンは圧巻である。
渥美マリさんの、youtubeがあったので、貼り付け・・・・
この歌声をききながら、白坂氏との濡れ場をよんでみてください。
Kawaii Akuma(sound only)
<ヨロめくマリを支え、寝室にはいる。ベッドに寝かせる。化粧がとれて、赤ん坊のような無邪気な顔になっていた。たまらなくなってキスする。すると彼女は、舌をだして応じてきた。その甘いやわらかい舌を、吸う。私は、下半身が、痛いほど屹立し、陽根が入り口を求めて、うごめいているのを感じていた>
<マリも素っ裸である。獣のように、からみあった。昨夜からの待ちぼうけで、私はたちまち、マリの体の中で昇天してしまう>
<マリと私が一緒にいる時、たえずSEXをしていたような気がする。「もっと奥へ。もっと・・・・・ね。一杯出して!」うわ言のように彼女は言った。奥へ進むと、私の先端は、無数の小虫のようなモノに包まれ、しめつけられて、おもわず射精してしまう>
渥美マリといえば、「でんきくらげ」などの、軟体動物シリーズに主演してオナペット女優ナンバーワンを称されたらしい。さすがに、私はしらない。ボスの年代ならしっているか?「うん?オレが、中学生の頃だろう。映画みにいって、補導員に補導された」(ボス談)時代の話である。
でんきくらげ
でんきくれげシリーズというと、「以前、GYAOでやっていた」(辻野記者談)ということらしいが、現在はやっていないようです。
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太地喜和子(1943−1992)
太地 喜和子(たいち きわこ、1943年12月2日 - 1992年10月13日)は、日本の俳優 女優。
和歌山県出身。高校生の時、東映ニューフェイスオーディションに合格。当初は志村 妙子(しむら たえこ)という芸名で映画に端役で出演していた。その後俳優座養成所をへて文学座入団。1967年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、物怖じせずヌードやベットシーンを大胆にこなし、一躍注目される。
舞台女優として『欲望という名の電車』、『唐人お吉』などで活躍。文学座の大女優・杉村春子の後継者としての期待が高まり、実力派として君臨したが、1992年、『唐人〜』公演中に海に車が転落する事故により48歳でこの世を去った。
youtubeだと、以下の、「大関」のCMがヒット。共演者が田宮二郎というあたり、歴史を感じます。
白坂氏によると、
ある年のクリスマスパーテイで、当時18歳だった太地喜和子(当時の芸名は志村妙子)とキスをした・・・・。
<18歳にしては、濃厚で、たくみなキスであった。ベッドに、倒した。「ダメ」と太地さん。「私、今、生理なの」「女の子は、みんな、一応そういうものだよ」と私。・・・・案の定、生理ではなかった>
しらし、白坂氏、あっさりと太地喜和子とわかれてしまう。
<当時また結婚していたし、ほかにもガール・フレンドもいて、正直いって、会うのは面倒だった。スタイルはバッグンだったと思う。しかし、顔は、なんだか生殖器を連想させて、つまり私のタイプでなったのだろう>
うーーん。もったいない!
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これはなかなか、おもしろいので、パート2にいくことします。ボスでなくて、管理人の編集権です。
パート2は、「サメハダの女」「ハイミナール」ときます。
以上続く