中山忠直の生涯 その4

 

 

by 油井富雄

 

 これまでの記事:

    中山忠直の生涯1 2008年06月27日
    中山忠直の生涯2 2008年07月16日
    中山忠直の生涯3 2008年07月28日


 


●日清戦争終結、漢方医学が帝国議会で否決の年に金沢で生まれる


 中山の人生を紐解いてみよう。
  明冶28(1895)年4月26日、石川県金沢市で生まれている。父は小学校の教員、小学校の校長も務めた。

 中山が生まれたのは日清戦争で日本は勝利したものの、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉で、占領した領地を返還した3日後のことだった。

 さらに代表作『漢方医学の新研究』の関連でいえば、その年の2月の帝国議会で漢方医学を認知するための議案が否決され、漢方医学そのものが法律的には葬り去られた年でもあった。


●ハレー彗星を見て詩作を開始。早大商科で同人誌発行


 
中山は石川県金沢市に生まれている。

〈父は貧しい教員で12歳の時には自然科学者になりたかった〉

 と自らの詩集の序文に記している。
 詩作に没頭するきっかけは15歳の時(明治43年・1910年)ハレー彗星が地球に近づいた時だった。

 楕円の箒状に光り輝くハレー彗星は、76年周期で地球に近づく。近い時期では、昭和61年(1986年)、次回肉眼で観察できるのは2062年、これを読んでいるほとんどに人はもう肉眼では見ることはできない。

 明治43年にハレー彗星が接近した歳には、地球上の空気が一時的に無くなるという噂が広まり、自転車のチューブが売れたという。チューブ内の空気を吸って一時的な酸素枯渇に備えるという滑稽な理由なのだが、彗星の何たるかも熟知してない明治の日本では、笑うに笑えない話だ。

 そんな中、思春期の青年が夜空を見上げて、無限の宇宙に思いを馳せ、人生の何たるかを詩作にぶつけたのだ。


●一時は社会主義運動に従事、のちに民族主義者に 


 
旧制中学を卒業すると、上京し早稲田大学商科(現商学部の前身)に入学。
 実際は文学部に入学を希望したが、「親のたっての希望で商科に入った」と中山自身が述べている。とはいえ文学部の仲間と同人雑誌を作り詩作にふける学生時代だった。

〈大学を卒業すると2年間、店員として勤務、その後の社会主義運動に入ったが、2年で社会主義運動の誤りを見つけて、今後は逆に民族主義の重要性に覚醒した〉

  と中山の著書の中で自らの経歴を述べている。

 このころから詩人として雑誌などに寄稿、ペンネームは中山啓。最初の詩集は『自由の廃墟』(大正11年・大鐙社)、続いて『火星』(大正13年・新潮社)を出版した。


●詩集も出版。英訳されて海外に紹介された


 
その後は、漢方医学関連の書と続くが中山の詩人としての集大成は昭和14年に出版された『地球を弔ふ』(嵐山荘刊)だ。これは英訳版が出て、版も重ねている。戦後に出版された『日本SF古典集成供(ハヤカワ文庫・現在絶版)に収録されたほどだ。

 ただ、詩人・中山忠直は現在も詩文学の世界に生き残れるほどではなかったことは事実だ。

 中山の作った詩はどんな言葉で形づくられているのか。


●詩「地球の終わり」「ハレー彗星」 


 詩集の代表作としては『地球を弔ふ』(昭和14年・嵐山荘刊)だ。

 この出版の経緯は、おいおい述べるとして、この詩集には詩「地球の終わり」をはじめ幾つかの詩と何人かの推薦の辞で構成されている。

「地球の終わり」はかなり長いが、冒頭の部分を引用させていただこう。

 

★ ★

どれだけの時が

すぎたのかしら――?

長いあひだ

ひとりぼっちで

冷たい墓の下に

眠ってゐて

すっかり

退屈になった時

ふと記憶が胸に過ぎて

ぶらりと墓から

抜け出してきたのだ

後略(「地球の終わり」の冒頭部分)

★     ★

 

 この後を要約すると、墓から抜け出した“私“が見た地球は、一面の砂漠で、人類の生きた痕跡だけが残り、人類の煩悩や苦悶がすべて消え去り、静寂な地球だけが残る。

 あくまで一人ひとりの人間が、宇宙の中の地球に存在する生物体として冷静に見つめている情景が描かれている。

 中山の詩に「ハレー彗星」というのがある。76年周期で太陽の軌道を回るハレー彗星を明治43年(1910年)に地球から観察できた時、中山は15歳。郷里金沢でこれを目撃、詩作を始めたきっかけになったといわれる。

 

★     ★

一人でお前を仰いでいると

僕の心は宇宙の中に溶け入ってしまふ――

何という人間の弱小さだ

お前の一循環が人間の一生だ

(「ハレー彗星」の一節)

★     ★

 

  ハレー彗星の軌道周期とは人間の一生分だという15歳の少年の感性には驚くが、中山の詩を分類すると、民族意識に溢れたもの、自然美を賛美するもの、宇宙的視野で見た前述の2編に代表されるものの3つ分けられる。しかし、すべての根底にあるのは、「地球の終わり」「ハレー彗星」に代表される視点に集約される。

 

参考:漢方医学の新研究―西洋医学と東洋医学の実証的比較 (1974年)
   日本人に適する衣食住 (1927年)
   アジアのめざめ―印度志士ビハリ・ボースと日本 (伝記叢書 (189))

以上