講談社発行 月刊現代の休刊がきまった。
 当方のボスも含め、他のスタッフも大変にお世話になった月刊誌である。


 


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月刊「現代」が休刊へ 講談社の総合オピニオン誌
47NEWS, Japan - 4 hours ago
講談社の月刊誌「現代」が年内にも休刊することが31日、分かった。 「現代」は1966年に創刊。政治、経済、社会など幅広い分野を扱う総合オピニオン誌として知られ、「音羽人事観測所」などの人気連載がある。 日本雑誌協会によると、2006−07年の平均発行部数 ...
月刊現代」が休刊へ 週刊誌も態勢見直し サンケイスポーツ
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 月刊現代というと、

「20代、30代の若手のライターが、まず登竜門として、署名で書かせていただいた媒体。ここの編集部は、若手の起用に躊躇しなかった。今、活躍している人や、ま、活躍していないひとも含めて、そこそこの記者やジャーナリストやノンフイクションを書いた人なら、一度は、ここの編集部の洗礼をうけただろう。
 オレはもちろん、辻野記者も、北岡記者も、油井富男さんも、中里憲保さんも、みなお世話になった。最初の、署名原稿が、月刊現代という書き手はおおいのではないか?」(ボス談)
 
 ま、正直いって、オレもお世話になった。ボスの紹介だったけれど・笑。

 これは、一般の人にはなかなか、わからないかもしれないけれど、月刊誌からの原稿依頼というと、テーマと、内容と、枚数と、締め切りの期日が決められて、それで取材して、原稿を書いて、編集部に納めて、ま、めでたしめでたし・・・・とおもっているかもしれない・・・。
 
 あまい・・・・!そんなヤワじゃない。
 だから、登竜門とも、編集部の洗礼をうけるともいうのだ。

 ま、どうてもいい原稿は、といってはあれだけど、普通だと、そのまま「はい、玉稿ありがとうございます。ゲラをおくりますので、チェックしてください」と編集部からいわれて、それで終わる。
 
 しかし、月刊現代はちがった。若手の書き手には、徹底して厳しいチェックがはいる。第一稿は、ズタズタにされる。甘い取材は、ばしばし指摘される。編集部の仮眠室に泊まって、一晩でも二晩でも、書き直しをさせられるし、再取材を要求される。担当の編集者も一緒に徹夜であろうが、二日かかろうが、三日かかろうが、それこそ仮眠室に一緒に寝泊まりして、とことんつきあってくれる。
 
 これが、「月刊現代編集部の洗礼」なのである。
 
 うちのボスは、それこそ、元木昌彦さんや、この間、癌で若くしてなくなって鈴木智志さんに、その洗礼をうけた。辻野記者も、北岡記者も、この洗礼をくぐってきた。オレなんか、途中で、編集部から逃げ出して、ボスに殴られて、つれもどされたぐらいだ。(恥ずかしいけれど、本当です)
 こうして、鍛えられた。ま、ボスにいわせると「おまえは、まだ、鍛え方がたりない」(ボス談)


「それこそ、無名であろうが、半端であろうが、若手を起用した。時には冒険と思われる起用もした。それは、伝統的に編集部に自信があったからだろう。いざとなったら、編集者が、取材するし、いざとなったら、編集者自身が代筆する。そして、とにかく、若手の原稿を、ボロボロになるまで、叩き、叩き続けて、そして、署名原稿として、常に一定のレベル以上の原稿を世に出してくれる。
 これは、あとから、気づいたのだけど、実は、ここで鍛えられるのは書き手だけでなくて、編集者自身でもあるということだったな・・・。ま、すごいところだった」(ボス談)
 
 いま、こんな編集部があるだろうか?
 だから、ボスは若手をみつけると、月刊現代に紹介する。
 そこで、多くの書き手が、その洗礼をうけたはずだ。

 しかし、時代がかわったのだろうか?
 こうした雑誌がひとつづつ消えていく。
 
 最後の編集長となった高橋明男さん。
 本日、ボスに電話があったそうだ。

「私の力が至らずにすみません」(高橋編集長)
「おまえのせいでない・・・・・」(ボス談)
 
 これ以上、うちのボス、とはいえ、いえなかったらしい。
 編集長自ら、一人一人の関係者に電話しているのだろう。

 高橋明男さんというと、それこそ、うちのボスや、油井さんや、中里さんが、週刊現代で、「ぶいぶいいわせていた」時に、新人の編集者として入社してきた。
 たいして、年齢が、かわらないくせに、20代ですでに記者として、「ぶいぶいいわせていた」ボスは、「おう!新人か!鍛えたるからな!そか、同じ北海道出身か?まず、酒の飲み方からいこう。給料はいったら、全額引き出してこいよ!」なんていって、それこそ、飲み屋周りをしたそうだ。
 これ、支払うのは、当然のように、新人の高橋さんの給料。全部、自腹で支払いをさせる。
 こうして「鍛えた・笑」(ボス談)
 
 といっているけれど、高橋さんというのは、不思議な才能があったらしい。
 
「そだな、こいつは、新人の時から、なぜか、どうしてか、文章がうまかった。これは不思議だが、硬派の記事から、軟派の記事まで、すらすらと記事を書く。訓練もくそもない。高橋の先輩の指導社員だって、目をまわした。なぜか、彼らよりもうまいからだ・笑」(ボス談)

 ということがあったらしい。普通は、相当な、過酷な訓練やら、イジメをうけて、なんとか記事が書けるようになるのだけど・・・・。高橋さんは、入社1年目にして、当時の編集長から、うるさいボスのような記者連中までが、みとめるというか、みとめざるえない、書き手だったのだという。
 
 これは、記事を書くのが、嫌いなボスにとって、格好のカモ(笑)だった。
 
「うん?当時のオレの原稿のほとんどは、高橋とかが書いた。ネタはオレがとってきたけど、原稿は、面倒くさいからな・・・・だから、オレの担当編集者は、みな名文家だな・・・・・・」(ボス談)
 
 なるほど、原稿書くのが嫌いなボスが、なぜか若い時にたくさん原稿をかいていたか理由がわかる。そういう事情があったのだ!

 そんな時代があった。
 今のネット時代・・・・。
 
「うむ、ネットでしりあったブロガーさんの中に、まだまだ、月刊現代の洗礼をうけさせたい書き手さんが、たくさんいたのに・・・。残念だ!」
 
 ボスはそういった。
「月刊現代」がなくなる。
 これは、ひとつの媒体の終焉だけでないのかもしれない。
 
 最後の編集長の高橋明男さん。


「つらいだろうが、最後の、最後の号まで、一行たりとも、一切、手を抜くなよ!オレはしっかりとすみずみまで、読むからな・・・・。わかっているな!」(ボス談)
 
 
以上