日教組の先進性については、「ジェンダーフリー」や「性教育」で、よく語られる。

 まずは、古典的に有名な動画・・・・・

小学校の異常な性教育授業風景
 もうひとつ・・・・・・・・・

日本の性教育?小中高生用Sex Education Of Japan in English


 こうした性教育については、国会でも問題になった。
 さて、問題は、こうした性教育が「日教組」によってなされたか?
「日教組の性教育はとんでもない」となるのか?
 というと、実は、そうは短絡的にはいかない。
 つまり、日教組だけが、やったわけではないからだ。
 政府も、文科省も、行政も関与している「男女共同参画」に落とし穴があった。

 簡単にいうと、「大分県教員不正採用事件にかかわった教育委員会に実は日教組出身がいた。日教組と教育委員会はずぶずぶの関係であった」(ボス談)というぐらいに、事態は深刻なのである。これについては、赤旗さんがさらに詳しい資料をもっているのだから、公開してほしい。公開するのが面倒だというなら、うちに下さい。

 日教組と、日教組教育の問題は、「日教組たたきつぶせ!」といえばいいというほど単純じゃない。この辺は、日教組教育と日教組思想の流布活動に邁進されてきた日教組の方が上手であった・・・と認めざるをえない。
 文科省も、手玉に取られていたのだ。文科省の人、認めなさい。

 だからといって、中山さん、森さんを批判する気はないけれど、うちとしては。
 ま、単純化したい気持ちもわかるので・・・・・。

 しかし、「物事はそう単純じゃない」
 

 
 

 単純じゃないのはわかったけれど、どう単純でないか?
 ということで、ちゃんと日教組と文科省のずぶずぶの関係については、ちょっと長いけれど、桜井裕子さんの動画みてみましょう。
 文科省の人はもちろん、日教組の人もみていいですよ。
 日教組嫌いの人は当然です。
 マスコミ関係者は必見!

 

動画

性教育の暴走3-3



 では肝心の日教組はどういう研究をしているでしょうか?
 実は、これも古典的に名レポートという一文があります。


正論03年4月号【日教組教研リポート】
著者:小島新一氏

 厳密には、著作権侵害になる可能性がありますが、すでにネットでは一部で公開されています。ここは、ひとつ、正論さんと、小島さんには見逃してもらいましょう。

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【日教組教研リポート】正論03年4月号
これは本気だぞ!「男女平等」教育の真の狙いは革命にあり
本誌 小島新一

■政府見解もどこ吹く風

「男女共同参画社会実現」のかけ声のもと、「男らしさ」「女らしさ」をはじめ男女の性差を否定する「ジェンダー(社会的・文化的性差)フリー」思想に基づく政策・施策が国・各自治体レベルで進められてきたことは、本誌でこれまで多くの筆者が取り上げてきた。しかしここにきて、「家族や文化の解体・破壊につながる」とその動きを疑問視し、反対する声も次第に大きくなりつつある。  昨年十一月の参院内閣委員会では、「男女共同参画社会」について「男らしさとか女らしさを否定するものではない」(福田康夫官房長官)「ジェンダーフリーを目指すものではない」(坂東真理子・内閣府男女共同参画局長)「男女共同参画に関する教育は、決して画一的、機械的に男女の違いを認めないということではない」という政府見解も示され、ジェンダーフリーの猛威にようやく歯止めがかかる兆しが見えてきた。
 しかし、一般社会から隔絶した世界に住むこの人たちは、やはり変わっていなかった。それどころか、「私たちへのバッシングがついに始まった」と被害者意識を剥き出しにし、自分たちの思想のゴリ押しをさらに加速させそうな勢いである。
 今年一月、奈良県で開かれた日教組第52次教育研究全国集会「両性の自立と平等をめざす教育」分科会(二十五日―二十八日、分科会は二十六日から)に参加した教員たちが発表した教育内容は、テーマや教える子供たちの年代はざまざまながら、「ジェンダーフリー」のオンパレード。政府見解などどこ吹く風だった。一般的な感覚からは想像し難い仰天発言や議論が相次いだ分科会の様子を紹介したい。

■体育・スポーツもジェンダーフリー

「両性の自立と平等をめざす教育」分科会には、全国三十五の単組(地区単位の教職員組合)から選ばれた発表者をはじめ、オブザーバーや共同研究者と呼ばれる識者ら約百人が連日参加した。三十五組三十七人の発表者のうち男性教員は五人だった。
 教育内容ついての発表は、「意識・慣習の見直し」「労働・家庭」「性の教育」の三テーマに分けて行われた。各テーマで二、三組の発表があり、その後質疑応答や意見交換が行われる―という進行だった。
「意識・慣習の見直し」でいう「意識・慣習」とは、「男は仕事・女は家庭」といった考えに象徴されるような男女の性的役割分担や「男らしさ」「女らしさ」といった概念を指している。
 このテーマに沿って石川県内の公立中学校の男性教員が発表したのは、「男女合同体育」。男女の混成チームで、ソフトボールやバレーボールの試合に取り組んだ三年生の授業について報告した。
 ソフトボールの試合では、ストライクソーンを女子がバッターの場合は有利になるようにしたり、バットにボールが当たるまで三振をなしにしたりと、生徒たちがルールを変更しながら、和気あいとゲームを楽しんでいたという。
 発表後には、体育やスポーツにおける「ジェンダーフリー」が議論になった。
「男女の肉体の違いを無視すべきではない」という意見もあったが、「体力差や運動能力の男女差は経験の差に過ぎない」「男女の体力差についての思い込みは見直さないといけない」という声も。
「運動能力の男女差は、経験の差に過ぎない」という根拠として、合同体育の発表者である教員があげたのは「ソフトボールが得意な男子は多いし、女子は少ないが、ソフトボールが得意な女子は苦手な男子よりうまい」ということである。
 しかし、一部の例が、一般的な男女の体力差を否定し、「ジェンダーフリー体育」を正当化する根拠となりうるのであろうか。そもそもプロスポーツやオリンピックの世界で、男女が一緒に競い合う競技など聞いたことがない。こうした世界の選手たちの多くは、男女問わず幼少の頃から相当な練習を積んでいる。「経験の差」がない場合の一般的な結果は明らかであろう。
 議論は、運動技能や体力向上を重視するのか、運動の楽しさや喜びに触れることに力点を置くのかという体育授業の在り方にまで及んだが、明確な結論は出なかったようだ。この中学校の場合、過疎化で生徒数が減少し、学年に三十人ほどしか生徒がいないため男女別に体育の授業を行うと団体スポーツをするのが困難という事情も合同体育を導入する理由の一つだったという。少子化による生徒の減少はこの学校だけの問題ではなく、今後合同体育を導入する学校が増える可能性は強い。

■押しつけ教育

「労働・家庭」のテーマでは、山口県の公立小学校の女性教員が家事分担を子
供たちに考えさせた授業を発表した。
 使用教材は、共働き夫婦に子供一人の三人家族の一日を描いた十二枚の絵である。買い物や洗濯、炊事といった家事をすべて母親がこなす一方で父親は何もせず、最後には母親が泣き出すという設定である。さらに、母親と父親の行動をそっくりと入れ替えた絵も用意されている。
 教員が作成したレジュメには、四年生児童とこの教員のやりとりが記録されている。

教員「何で(母親は)泣きよるんと思う?」
児童「あくびした?」「悲しいテレビをみたんじゃ」「カリカリしとったから?」「(父親と子供が)ちゃんとしてくれんけえ」「仕事がきついから」「家の仕事がたくさんあるから」「誰も手伝ってくれんから」
教員「何でかねえ」
児童「分かった、お母さんばかりが仕事して、誰も手伝ってくれんけえじゃ!」
教員「そうなんよ、お母さんばっかりが家の仕事しよるやろ? みんなのうちは」
 (略)
教員「何で女がやらにゃいけんの?男がやりいや…ということで、お父さんバージョン(の話)も作ってみよう」
児童「これ、お父さんも泣くで」
教員「当たり。(最後の場面の絵を見せて)お父さんも泣いてしまった」「二つの話、比べて見てどう?」
児童「お父さんバージョンの方がなんか変」
教員「どんな風に変なん?」
児童(何と言っていいかわからない)
教員「お父さんが家の仕事しないでテレビ見よったり子どもの面倒見んかったりするのは何も思わんかったけど、お母さんが同じことしたらなんか許せんと思わんかった?」
児童「うん、そう」
教員「最初、お母さんが泣いた理由もみんなはわからんかったのも、みんなの中に『家の仕事をするのは女の人』っていう考えがあるからじゃろ? それって男女差別の心よなあ?」(中略)「『女だから』家の仕事をするのは当たり前で、『男だから』やらなかったり『お手伝い』で済ませるのは不平等よね。家族一人ひとりがくらしとるんだから、みんなで家事を分担することが大事よね。その方が仲いいよっていう意見も出たよ」

 確かに共働き家庭で母親ばかり、あるいは父親ばかりが家事を担う姿は健全ではないかもしれない。しかし、それぞれ家庭の事情や考え方があるはずである。教員自身、「専業主婦の家庭の子供や一人親家庭への配慮が足りなかったかもしれない」とコメントしていたが、母親が泣き出すような場面を設定しての指導は行き過ぎではないだろうか。実際そのような家庭環境にある児童はどのような思いがするだろう。
 ちなみに、この教員が担任するクラスでは、「普通」「男子が…」「女子が…」という言葉を使っただけで、子供たちから「おかしい」「男子も女子も関係ない」という声が上がるという。

■小学四年生が学ぶ「自慰のマナー」

 小学校低学年にまで性器の名称や性交について教える性教育の過激化が、最近になって新聞や雑誌で盛んに取り上げられているが、性教育もこの分科会のテーマである。
 「男の子にとってペニスってなあに」と題して、小学四年生の授業で男性の自慰行為や包茎について教えた授業を発表したのは滋賀県の公立小学校の女性教員だった。指導計画によると、関係する授業は各学期で一回ずつ行い、一学期に「第二次性徴と女の子の体」、二学期に「男の子の体」、三学期に「包茎・自慰」を学んだという。
 この教員が提出したレジュメから、二、三学期の授業の内容を引用する。

 ◎二学期(筆者註、《 》内は使用する資料など)
 【導入】外性器の名称について思い出させる。学期に学習した男の子の外性器について復習させる。《外性器の絵》
 【展開】男の子の体にはいろいろな不思議なことがあることを知る。「太郎の出来事」(筆者註、発表した教員が独自に作成した紙芝居教材)の話を聞きながら話し合う。
 ・チンチンが赤くはれている。どうしてなんだろう。《ペニスの模型を使って排尿の様子を見せる》
 ・朝起きたらチンチンがたっていた。どうなっているんだろうか。《内性器の絵》
 ・パンツが濡れている。どうしてなんだろう。《計量スプーン》
 ・僕のチンチンは、なぜみんなと違って小さいのだろう。(顔や性格と同じように、ペニスの形も大きさも個人差があることをわからせる)
 レジュメには書かれていなかったが、勃起についても学習したという。

 ◎三学期
 【導入】二学期に学習した「太郎の出来事」の話の中に、ペニスを洗う部分がある(以下略)。
 【展開】「太郎」という主人公を登場させることにより、自分の体の一部分であるペニスの構造についてはずかしがらずに学習ができるようにする。
(包茎について)
 ・ペニスの模型を使って、真性包茎と仮性包茎について説明をする。
 ・ペニスの模型を使って包皮のめくり方を練習する
(自慰について)
 ・ペニスを触っている絵
 ・自慰について、悪いことだと決めつけた考え方を持たせないようにする
 ・自慰についてのマナーを押さえておきたい
 ・自慰は男の子だけではないことも押さえる

 この教員によると、ある児童の母親から「子供が女性の裸の写真が載った本を何冊も読んでいる」という相談を受けたことがきっかけで、自慰について「罪悪感を持たずにすむような」授業を思いついたという。包茎についての学習は、親戚の男児が性器を洗わずに炎症を起こしたことから計画したのだという。
 しかし、小学校学習指導要領では、「体は、思春期になると次第に大人の体に近づき、体つきが変わったり、初経、精通などが起こったりすること。また、異性への関心が芽生えること」(三、四年の保健)「人は、母体内で成長して生まれること」(五年の理科)を指導するとしており、「自慰」の学習は明らかにその範囲を逸脱している。具体的な内容は不明だが、「マナー」まで教える必要があるのだろうか。
 また、この教員は二年生の児童に「ペニス」「ワギナ」という性器の名前を用いて性交について教えたことも発表した。
 小学生、さらには本来性教育を行わない低学年にまで性交を教える理由を尋ねてみると、教員は「市内の小中学校の性教育担当者が集まる会議で、中学校側から性交については小学校で教えてほしいと要請があった。高学年よりも、低学年のほうが照れたりせずに素直に受けとってくれるからだ」と説明した。
 さらに、「この時期の子供はみな自分がなぜ生まれたか知りたがっているが、家庭では教えにくい。性器の名称も含めてきちんと教えるべきだ」いい、「興味本位や欲望のままに『性』というものを取らないよう、小さい頃から何度も繰り返して教えることが大切だ」という。
 確かに分科会では、「これまでの性教育は純潔教育だった」という意見は出されたものの、「過激な性教育」が目指しているといわれるフリーセックスを奨励するような発表や意見はなかった。
 では、子供たちはどう受け止めているのであろうか。学校で性教育を受けた小学一年生の息子が、自宅で妹に乗りかかっているのを見て驚いたという話を、東京都内の保護者から聞いたことがある。
 記者が「子供たちが興味本位に受けとることはないのか」と質問すると、女性教員は黙ってしまった。
 こうした性教育は、かつてのように男女別に行われているわけではない。男女一緒である。子供たちは恥ずかしさを覚えないのであろうか。男子と同じ教室で性交について教えた女子から「二度と触れないでくれ」と抗議を受けた体験を語る教員もいたが、それで性交についての教育を止めることはなかったという。

■女子はズボン、男子はスカート
 
 分科会の最終日には、今後の課題について討論が行われた。
 そのテーマの一つとなったのは制服である。「男子がズボン、女子はスカート」と画一的に決められているのはおかしいとして、一部には女子の制服にズボンを取り入れる学校も出始めている。
 ある女性教員からは、「女の子がズボンでもいいという声があるのに、男の子がスカート(でもいい)という声が出てこないのはなぜか」という質問が出されたが、さすがに会場からは失笑ともとれる笑いが漏れ、質問された側も「考えたことはなかった」と答えただけだった。
 埼玉県の公立高校の男女共学化問題も取り上げられた。埼玉県では、今年二月現在で男子校五校、女子校十一校の男女別学公立高校があるが、昨年三月に県の男女共同参画苦情処理委員会が「すべての公立高校を共学にすべき」と県教育長に勧告したことをきっかけに、別学校のPTAや後援会、同窓会、生徒たちによる共学化反対運動が起きた。共学校と別学校の「共存」を求める署名は二十七万人分以上が集まり、稲葉喜徳教育長は昨年十二月の県議会で、こうした県民の反対運動や中学校校長の間に根強い慎重論も考慮して今年三月に県教委としての方向を決定することを明らかにしている。
 この問題について発言した女性教員は、「嫌だなと思ったのは、親や保守的な大人たちが共学化に反対するならともかく、(別学の)学校の生徒自身が反対運動を起こして署名を集めたり、懇談会を企画したりして共学化を進める人たちと対決していること。非常に自主的な活動を繰り広げ、共学に反対している」と別学存続を求める生徒たちの活動を批判した。
 これには驚かされた。日教組は日ごろ、「子供が主人公」「子供の自主性、主体性を大切にしよう」と熱心に主張していたのではなかったのか。校則やしつけ指導を「子供の個性を無視した管理教育」と批判して学校を無秩序にし、ゆとり教育を叫んで今日の学力低下を招いたのはだれだったのか。子供たちが主体性を発揮しても、自分たちの考えに沿った行動でなければ認めないというのだろうか。
 女性教員は、余程生徒たちの反対運動が気に食わなかったのであろう。「小学校や中学校でも、(男女平等・ジェンダーフリー教育の)取り組みがなされてはいるのですが、肝心の子供たちの気持ちに落ちていないのかなと思った」と小中学校での教育に゛責任″を転嫁するかのような発言まで行った。「別学=悪」という結論だけがあり、「別学のほうがのびのびと学校生活を送ることができる」などと生徒たちが共学化に反対する理由は、まったく眼中にないようであった。
 驚かされたことはまだある。大半の発表者のレジュメには、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」「ジェンダーバイアス」といった言葉が頻繁に使われている。それでいながら、「『ジェンダーフリー』とは何か」という議論まで行われていたことである。
 中には「自分は(女性だからといって)不当な扱いは受けていない、差別は受けたことがないと思っていたが、本当に辛い目に遭ってきた人の話を聞いてようやく気付きはじめた。だから子供たちに(ジェンダーに)気付かせる教育はしているが、自分の物差しはまだ決め兼ねる状況です」と正直に告白する教員もいた。
 この点について、教研集会の全日程終了後に開かれた記者会見で「ジェンダーフリーの概念について、参加者によって理解に違いがあるのではないか」と質問してみた。
「両性の自立…」部会を代表して会見に臨んでいたのは、共同研究者の佐藤和夫・千葉大教授。佐藤教授は、内閣府・男女共同参画会議の前身、総理府・男女共同参画審議会のメンバーでもある。
 佐藤教授は「分科会の参加者は毎年変わっていて、報告・討論の中でジェンダーフリーがとは何かを一緒に学びあい、話し合っている」と答え、参加者の間で理解に違いはないと断言した。
 しかし、待ってもらいたい。学校現場でジェンダーフリー教育を行っているのは、分科会の参加者だけではないはずだ。全国教研に参加しなければ「ジェンダーフリー教育」の在り方を確認できないというなら、各学校で行われている教育は一体、何なのか。
 会見では、「男女共同参画社会はジェンダーフリーを目指すものではない」という坂東局長の国会答弁についてどう思うかという質問も出された。
 佐藤教授は、「ジェンダーフリーは一人ひとりの個性を尊重するものであるということに、分科会の大半の参加者が非常に強い確信を持っている。個人のアイデンティティーを否定するものではないということは明白だ」としてジェンダーフリーは男女の性差を一律に否定するものではないとの見解を示し、「(ジェンダーフリーを否定した)坂東局長の内閣委員会での答弁は、ある種の圧力による結果だと考えている」と話した。
 佐藤教授のコメントは、共同研究者といえども外部識者の見解である。日教組の見解を確かめようと後日改めて取材を申し入れたところ、「記事を掲載前に見せるなら取材に応じる」と回答してきた。そこで「日教組の見解を記した箇所だけはお見せすることはできるが、ほかは無理だ」と答えると、最終的に取材を拒否された。
 
■批判は自分たちへの「攻撃」
 
 もちろん、参加者たちがジェンダーフリーに対する批判が高まっていることを知らない訳ではなかった。「ジェンダーフリー」推進派が「専業主婦」という生き方を否定しているという批判について、「(私たちは)自分たちの理想を子供たちに押しつけているのではないか。専業主婦をしている人も、『専業主婦がいい』と思い込まされている面はあるが、バッシングを受けるということは無視してはいけない何かがあるのではないか」と教育の進め方を振り返るような意見も出された。
 しかし、これも「ジェンダーフリーの教育、自治体の条例をめぐって攻撃がなされている。原点に返って教育実践を積み重ねて攻撃をはね返していきたい」(吉原喜久江・日教組女性部長)といった主張にかき消され、「反対論を受け入れてはいけない。専業主婦でもいいじゃないか、(男は仕事、女は家庭という)役割分業も各家庭でうまくいっているならいいじゃないかと心を揺らがせると、反対派がしめたということになりかねない」(福岡県の女性教員)という呼びかけもなされた。
 分科会の最後には「この分科会は社会を変える力を持っていると思った」「わたしたちが動くことによって組合が動き、社会を動かすことになる」といった感想も相次いだ。
 大阪府の女性教員の感想はこうだ。「私たちは未来を担う子供たちを育てているのですから、社会の悪い所を変えていくというその発想が気に入った。現状肯定ではいけない、変えるという精神が好きだと思う。細かいところはよく分かりませんが、この分科会は社会を変えていく、世直ししていくというところなんだなと思いました」
 
 昭和二十七年に日教組が定めた「教師の倫理綱領」は、「教師は労働者である/新しい人類社会の発現は、労働者階級を中心とする勤労大衆の力によってのみ可能である」「教師は団結する/団結こそは教師の最高の倫理」などと謳い、社会主義・共産主義という言葉こそないものの、用語の性格から「革命集団ではないか」と論議を呼んできた。日教組もいまでは倫理綱領を「歴史的文書」と位置付けているが、ジェンダーフリーへと思想を変えて「革命」を目指しているだけではないか。参加者の「決意表明」とも取れる感想を聞きながら、そんな思いにとらわれた。
 
 
以上