田母神前空幕長の論文に関しては、当方で以下のエントリーをいれている。

「田母神俊雄」論文 全文掲載
田母神俊雄 「航空自衛隊を元気にする10の提言」
第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から
日本を語るワインの会 鳩山由紀夫はこんな会合に同席し、こんな立派な発言に同意していた


 さて、そこで当方のボスのお知り合いというか、親しい石破茂前防衛相が以下のように、自分のブログでエントリーしている。

2008年11月 5日 (水)田母神・前空幕長の論文から思うこと


「あの、石破農相が、田母神前空幕長の論文に関して発言していますが?」とはオレ。
「うん?なんか、いらこといってないよな」(ボス談)
「いや、その・・・・・文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念・・・・と発言されていますが」
「そうか、いや、よかった。いや、そういうものだ」(ボス談)

 はあ?
 ・・・・・・・・・・・・・・?

 北岡記者が解説してくれます。
「おまえな、石破さんに、それ以上なにをいわせたいんだ?だいたい、周囲は、日教組教育をうけた連中ばかりだ・・・・。石破見解は、今の政府の見解としてはきわめて妥当な線。別に、日教組や自治労の支持をえようとしゃかりきになっている小沢一郎や、鳩山由紀夫とはちがうんだから」(北岡記者談)

「そう、それを批判するのも、我々の仕事である」(ボス談)

 ということで、ボスが石破さんを批判するそうです。

「石破氏の見解は、政府見解としてはしごく妥当。妥当であるから、それに異論、反論がでるのは当然。その異論、反論の受け口をつくってくれていると判断する。よって、石破見解を批判する。
 これまでの現状はそうであった。しかし、将来にわたって、こうした見解は、さまざまな議論にさらされることになる。現状としては耐えうるが、将来にわたって、この見解が、こうした議論に耐えうるものであるかどうかについては疑問である。この疑問について、答えていくのも政治家の仕事である。以上。
 うん?批判になっていない?
 いいの、石破はいいやつだから・・・うん?なにか問題あるか?
 そんな日教組みたいな目をするな・笑」(ボス談)


 ということで、異論、反論の受け口になってくれるといわれている石破見解を、転載・・・・・。


 

 
 石破茂 オフイシャルブログより転載。


 

2008年11月 5日 (水)田母神・前空幕長の論文から思うこと


  田母神(前)航空幕僚長の論文についてあちこちからコメントを求められますが、正直、「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」の一言に尽きます。
 同氏とは随分以前からのお付き合いで、明るい人柄と歯に衣着せぬ発言には好感を持っており、航空幕僚長として大臣の私をよくサポートしてくれていただけに、一層その感を深くします。

 日中戦争から先の大戦、そして東京裁判へと続く歴史についての私なりの考えは、数年前から雑誌「論座」などにおいて公にしており、これは田母神氏の説とは真っ向から異なるもので、所謂「民族派」の方々からは強いご批判を頂いております(その典型は今回の論文の審査委員長でもあった渡部昇一上智大学名誉教授が雑誌「WILL」6月号に掲載された「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」と題する論文です。それに対する私の反論は対談形式で「正論」9月号に、渡部先生の再反論は「正論」11月号に掲載されています。ご関心のある方はそちらをご覧下さい)。
 
 田母神氏がそれを読んでいたかどうか、知る由もありませんが、「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
 在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。
 加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です。
 「東京裁判は誤りだ!国際法でもそう認められている!」確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から「やりなおし」ができるのか。賠償も一からやり直すのか。
 「日本は侵略国家ではない!」それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。「遅れて来た侵略国家」というべきでしょう。
 「日本は嵌められた!」一部そのような面が無いとは断言できませんが、開戦前に何度もシミュレーションを行ない、「絶対に勝てない」との結論が政府部内では出ていたにもかかわらず、「ここまできたらやるしかない。戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。敗戦時に「一億総懺悔」などという愚かしい言葉が何故出るのか。何の責任も無い一般国民が何で懺悔しなければならないのか、私には全然理解が出来ません。

 ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖国問題の混乱も、根本はここにあるように思われます。
 大日本帝国と兵士たちとの間の約束は「戦死者は誰でも靖国神社にお祀りされる」「天皇陛下がお参りしてくださる」の二つだったはずで、これを実現する環境を整えるのが政治家の務めなのだと考えています。総理が参拝する、とか国会議員が参拝する、などというのはことの本質ではありません。

 「集団的自衛権を行使すべし!」現内閣でこの方針を具体化するスケジュールはありませんが、ではどうこれを実現するか。法体系も全面的に変わりますし、日米同盟も本質的に変化しますが、そのとき日本はどうなるのか。威勢のいいことばかり言っていても、物事は前には進みません。

 この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。
 押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。
 「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。
 制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。