田母神俊雄・前空幕長の参考人招致については、おいおい全文紹介しようとおもいます。(注意:限定公開で、未定稿ですが、速記録全文公開

 ところで、参考人招致がおこなわれた参議院外交防衛委員長の、民主党の北澤俊美氏ですが、同氏の歴史認識は以下のようです。

昭和の時代に文民統制が機能しなかった結果、三百数十万人の尊い人命が失われ、また、国家が存亡の淵に立たされたことは、忘れてならない過去の過ちであります。国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない、軍人の出現と、その軍人を統制できなかった政府議会の弱体化でありました。こうした歴史を振り返りつつ、現在の成熟した民主主義社会の下において、国民の負託を受けた国会がその使命を自覚し、もって後世の歴史の検証に耐えうる質疑をお願いする次第であります。それでは質疑のある方は順次、ご発言をお願いします」(参議院外交防衛委員長北澤俊美・民主党)

 ほほう、かなり幼稚でないか?
 もうちょっと気の利いたことがいえなかったのか?

「つまりだな、昭和の時代に文民統制が機能しなかった結果、三百数十万人の尊い人命が失われ、また、国家が存亡の淵に立たされたことは、忘れてならない過去の過ちであります。・・・・・・というのが今の民主党の歴史認識ということか?この程度の認識しかないのか?こりゃ、当時の政治家が怒るなよな!しかし、こんなんでよく日本国民は納得しているな?民主党はこの程度か?自民党も同じようなもんだけど・・・・」(北岡記者談)

 と、北岡記者は、北澤俊美と民主党に怒っています。

 北澤俊美氏といえば、長野県屋代高等学校を経て早稲田大学法学部卒業後、1975年自由民主党公認で、長野県議会議員選に出馬し初当選。県議会議員を5期勤めた。1992年参議院長野県選挙区から出馬し、初当選。羽田内閣で農林水産政務次官を務めた。羽田孜と行動を共にし、新生党・新進党・太陽党・民政党と党を変え、民主党入りした。2007年9月、参議院外交防衛委員長に就任・・・・・・という経歴。父親の北澤貞一氏は、日本社会党→民主社会党→無所属の長野県議会議員だった。

「いや、帰国子女で、日教組教育をまったく受けていないおまえにはわからないかもしれないが、俺たちはそうやって、歴史と戦争をおそわってきたんだ。だから、とくに目くじらをたてることはない。ま、その程度の歴史認識しかない日本の政治家は多い。あとは、おして知るべき。これが、戦後の民主主義の日本の現 実でもある。だから、北澤俊美に怒ってもあまり意味がない。だから、『その筋』さんも、あまり悲観したコメント書かないでほしい。
 ひとつひとつ、やっていきましょう。」(ボス談)

 参考までに、当事務所での日教組教育の影響度は、10点満点で・・・

 ボスが 3点。
 辻野記者 8点。
 オレが 6点。
 遠藤顧問 0点。
 中里記者 3点。
 北岡記者 マイナス5点。
 エコノミストのXYZ記者 0点。
 釜台記者 計測不能。

 だそうです。
 エコノミストのXYZ記者によると、

「生ものの世界経済やら、マーケットの分析に接していたら、日教組どころの話ではない。何?歴史認識・・自虐史観・・・?こんなことにこだわっている経営者がいたとしたら、その企業は潰れる。自国の優位性を語らずして、なにが経営か?馬鹿言うな・・・というと、エコノミストらしくないので・・・・そういうレベルで経済は動いていないとだけ、いわせてね!」(XYZ記者談)

 つまり、お馬鹿なんですね・・・。

「うむ、XYZ記者に今後の政治ついて語らせろ!」(ボス談)


 これが、当事務所の現況です。

 

以上