韓国でもそこそこ著名なエコノミストで、韓国の中央銀行の政策にもそこそこ影響力のある韓国人がいる(在日ではない)。ま、ボスの友人の一人である。
 当方のボスが米国に留学という名目で遊びほけていたときに、同じく、米国に留学して、こっちは真面目に勉強していた。同じアジア人の留学仲間ということで、安アパートを4人でシェアしていたときの同居人の一人だった。

 年齢的には同年代で、互いに貧しかったから、意気投合したらしいけれど、うちのボスの場合は、歳の離れた従兄弟がカリフォルニア大学で教授をしていたから、貧しいといっても、いざ困れば、その従兄弟の家におしかけて、飯をたかったり、食料品を略奪したり、小遣いをせびることができた。しかし、その韓国人はそうはいかなかった。
 しかし、貧困であるがゆえに、彼は、「歯をくいしばって勉強」して、ちゃんと学位をとった。うちのボスは、あまちゃんだから、「ラスベガスで皿洗いのバイトをして、いかさまカードの捌き方をおぼえた」ぐらいで、学位もくそもない。

 その後、ボスは、中東や、東南アジアへ放浪の旅にでるのだが、彼は愛国心がつよかったからちゃんと、韓国に帰国して政府系の仕事につく。これは珍しくて、韓国からの留学生というのは、ちゃんと勉強して学位をとっても、帰国せずにそのまま米国で企業などに就職して、そこそこ金儲けして、一軒家をたてて、米国の市民権をえて、一族を米国によぶ・・・。これが、ひとつのアメリカンドリームらしい・・・・当時の韓国人。

 だから、米国内の日本人社会とちがって、米国内の韓国人社会というのは、特有の性格をもつ。特有の階級をつくる。はやい話が、雑貨屋や庭師をいとなんで頑張る階級と、米国の大学をちゃんと卒業してそこそこの米国企業に就職する階級。さらに米国で起業して一旗あげる階級。
「実は米国内の移民社会においても、韓国というのは、独自の階級社会をつくる」(ボス談)らしい。

 そのエコノミストの韓国人は、しばくら韓国の政府系の仕事についていたけれど、政治体制がかわって(つまり、大統領がかわった)、仕事にあふれてしまい、日本にきた。その際に、就職の世話をしたのはうちのボスである。ま、永田町に陳情したのである。

 しかし、逆境につよい彼は、日本でも働きながら、日本の大学院で学びここでも、学位をおさめる。米国で学位をおさめ、日本でも学位をおさめる。これはエリートである。この時に、竹中平蔵さんとか知り合った。日本語はボスがおしえた。ボスもその時に、韓国語をおしえてもらったそうだが、「うん?全部忘れた」(ボス談)そして、ふたたび韓国に帰国(つまり、また大統領がかわった)して、そこそこ著名なエコノミストの地位を築いたのである。

 で、めでたし・・・・・めでたし・・・・・

 ということなのだが・・・・実は、そういうことではない。

 

 日本では、いまひとつ評判の悪い竹中平蔵さんだが、小泉改革をやったあと、韓国に招聘されて、韓国政府の経済顧問みたいことをやった。つまり、韓国版の「構造改革」をやろうとした。そのブレーンの一人に彼が加わってしまったのだ・・・・。

「やめとおけ!日本でも構造改革は失敗するかもしれん。まして、いちどデフォルト間際までいった韓国が、真似したら本当にデフォルトするかもしれん」と、ちょうど1年前に、ボスはそういった。
 エコノミストのXYZ記者も「アジア型の産業システムや経済構造には、米国や英国がやった『構造改革』はなじまない。それは資本や市場のメカニズムだけでなくて、歴史的なおいたちがちがうから、そこから見極めないとだめだ」と助言していた。

 しかし、韓国人のある意味でいい点は、「頑固なことである」(ボス談)。
 となるのだが、「柔軟性に欠ける。思考のバランスが悪い」(XYZ記者談)ともなってしまう。

 それから、1年たつのだけど、ま、リーマンショックがあったとはいえ、今の韓国経済は本当に破たん寸前になっている。前回もデフォルト寸前までいって、IMFが介入したけれど、それでもおさまらずに、日本政府の支援表明があってようやくふみとどまった。ま、日本のおかげである。韓国のインテリや政府関係者はそのことを、よくしっているのだが、なぜかそのことを、広く韓国の国民や在日にはいわない。

「ま、日本人は鷹揚なんだよ!懐が広い。というか韓国のデフォルトが、一韓国の問題だけでなくて、広くアジア経済全体に影響を及ぼすとわかっているから、たまに無礼なことをいう無知な韓国人や在日をスルーしている」(当方ボス談)

 ということで、つい最近、その韓国のエコノミストが日本にやってきた。ボスに会いにきたわけではない。韓国政府の正式なおすみつきの経済使節団の一員として日本にやってきた。日本の政府関係者や、財務省、日銀の関係者、経団連の幹部ともあった。
 そのついでに、ボスのところを訪れたのである。

「おい!物乞い使節団はどうだい?いい、おみやげはもらえそうか?」と冒頭からボスは失礼なことをいう。オレはハラハラした。しかし、そこは、30年来の知り合いであり友人である。その韓国人のエコノミストはニコニコしている。
「日本も深刻ですね。XYZ記者から説明ききました」という。
「であれば話は早い!前回の韓国のデフォルトみたいに、今度は簡単に日本の支援をもらえるとおもわんほうがいい。なんせ日本は米国の面倒をみるので精一杯だ」とボスはいう。

 ま、うちの事務所の近所の寿司屋にいって、経済の話だけでなくて、北朝鮮の話や、昔、つきあった女の話やら、留学時代の貧乏だった話やら、ま、親交を深めたわけだ。オレも同席させていただいた。

 最後にボスが爆弾発言をした。
 これは問題発言である。

「結局、なんだな、おまえら、韓国人は自分たちだけで経済運営やら国家経営ができないわけだから、いっそのこと昔みたいに、日本に併合されたほうがいいんじゃないか?なんなら、オレがかけあってあげようか?第二次、日韓併合である。その総督府の初代総督、なんならオレがなってやる」(ボス談)

 とんでもない発言である。
 ボス一流のブラックジョークなのだが、相手は激怒するとおもった。

 ところが、ニコニコわらっている。
「その時は、お願いします。その前に、自分たちでなんとかします」(ボスの友人の韓国のエコノミスト氏談)

 いや、顔は笑っていたが、実は、ボスの暴言をきいた瞬間、彼は側にあったビール瓶を握ろうとしていた。オレは見逃していない。
 あわや流血の惨事である。

 しかし、ボスのブラックジョークをさらりと受け流し、二人は親交を深めて、最後はカラオケにいって一緒に「アリラン」とか歌いまくったのでした・・・・・・・・・。

 こうしたことがあって当方の遠藤顧問が、ボスの友人の韓国のエコノミストへのプレゼントです。

 しかし、うちの事務所は友情に篤い。
 まったく、オレも泣けてきた!

 あ!竹中平蔵さんが、読んでもいいですよ。
 ただし、有料です・笑。



遠藤顧問の歴史だよ!  
十六回目 戦う李朝・戦わない徳川幕府
by 遠藤顧問



 今回は、およそ150年前の「黒船」という外圧に対して、徳川日本と李朝朝鮮(以下、当時の国名である「朝鮮」という)がとった態度について考えたい。特に、日本史の教科書にはあまり出てこない当時の朝鮮の状況を記す。
 元来、日本は朝鮮と300年間友好関係を保ち、徳川幕府が「鎖国」したときにも、国交は続いた。幕末期に国交が中断していたが、明治維新直後、日本は王政復古を知らせて、朝鮮にあらため国交を求めた。周知の如く、この要求を朝鮮が拒絶して日本に「征韓論」が沸き起こる。それ以降のことは、教科書にも記載されている通り(もっとも、その内容が正確かは別であるが)、1876(明治9)年に締結された日朝修交条規(江華島条約)をもって朝鮮は「開国」したのである。

 今回、テキストとさせて頂いたのは、佐藤誠三郎「近代化への分岐――李朝朝鮮と徳川日本」である。この論文は、『中央公論』1980年4月号に掲載され、佐藤誠三郎『「死の跳躍」を超えて――西洋の衝撃と日本――』(都市出版、1992年)にも所収されている。(本文より〜)

「死の跳躍」を越えて―西洋の衝撃と日本
著者:佐藤 誠三郎
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発売日:1992-12
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 小見出し

東洋の「隠者の国」

朝鮮と日本の類似性

西洋列強への対応の違い

西洋文明への対応の違い

違いをもたらした要因

 1.「劣等意識の克服」の相違

 2.統治構造と統治エリートのあり方の相違

約20年の差

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戦う李朝・戦わない徳川幕府 2009年4月19日