ぼやき三毛猫」、日本がダメだと世界がダメになる。
やっぱり甘かった日本の制裁 「貨物検査特別措置法案」廃案の背景


 編集の前書き

 
えーと、「北朝鮮と中国はぼやき三毛猫さんにまかせた」(当方ボス談)と言い残して、一人で3連休をとって、ゴルフにいったボスです。

 しかし、オレが選管をまかされたけれど、まかされた面積比率でいったら、北朝鮮と中国の方が圧倒的にデカすぎないか?
 とおもいます。
 それでも、文句ひとついわずに、ぼやき三毛猫さんは、淡々とエントリーしてくれます。そこで、面積比率でいったら、圧倒的に負担のかかっているぼやき三毛猫さんに少しだけ、側面支援します。側面支援するのは、ボスでなくて、オレです。

 今回のエントリーは、「やっぱり甘かった日本の制裁」の関連として、
 北朝鮮貨物検査特別措置法案 というキーワードを、うちのニュース検索サイトにエントリーしておきました。
 そこには、こんなニュースがあります。


北朝鮮貨物検査法案が衆院通過も廃案へ
日刊スポーツ
北朝鮮貨物検査特別措置法案が14日午後、衆院本会議で与党などの賛成多数で可決された。野党は参院で麻生太郎首相の問責決議が可決されたことを受け本会議を欠席、審議拒否に入った。これにより、与党が重要法案と位置付けた同法案は廃案となる見通し。 ...
問責決議可決 民主党は貨物法案を葬るのか読売新聞
首相問責可決のあおり食った…貨物検査法案廃案へスポーツニッポン

 
 つまりどういうことかというと、北朝鮮に対する国連安全保障理事会の制裁決議に基づいて、「北朝鮮貨物検査特別措置法案」が提出されて衆議院で可決されたのだけど、民主党が参議院で問責決議案を可決したものだから、民主党さんは、衆参の審議を全部拒否するという戦術にでました。

 つまり、民主党のおかげで、「北朝鮮貨物検査特別措置法案」は廃案になってしまった。

 うちのボスにいわせると、
「民主党は国連中心主義でなかったのか?それなのになんで、北朝鮮貨物検査特別措置法案を廃案にするんだ?やはり、民主党内の左派が、反対しているからか?海上自衛隊の派遣も可能にしているから、旧社会党系が反対している。日教組も、自治労も反対している。こんなんで、政権とってやっていけるのか?小沢一郎も頭の痛いところだな・・・・」(ボス談)
 らしい。

 民主党からみると、審議を継続すると、鳩山偽装献金が追及されるということらしいけれど、偽装献金と北朝鮮貨物検査特別措置法案のどっちが大事なのか?

「おまえらには、政権はまかせられんな・・・・・」(当方ボス談)
 とボスは、話のわかる小沢一郎側近や、岡田克也側近にいった。
 話のわかるところは、黙っていた・・・・という。
 ま、これも、それも、民主党の現実です。

「さっさと、選挙で勝って、さっさと分裂させる。それしかない。だから、勝たせてくれ!!」(当方ボスと仲のいい民主党議員談)
「口約束ではだめだ。分裂させるという小沢一郎の証文でももってこい!」(当方ボス談)と、また、うちのボスが無茶な要求をしたという話が、伝聞でつたわっています。

 さて、前置きはこれぐらいにして、肝心のぼやき三毛猫さんのエントリーに入ります。

 

 

ぼやき三毛猫」、日本がダメだと世界がダメになる。
やっぱり甘かった日本の制裁 「貨物検査特別措置法案」廃案の背景


 
この国は本当に、平和ボケだと思う。
 産経MSNの記事を見て納得する。

吉林省ルート突出 昨年12月の中国の対北輸出 ミサイル部品に関連か2009.7.18 02:00

 中国の対北朝鮮輸出額が昨年12月だけ突出して増えていたことが17日、日米両国の外交筋の証言で明らかになった。中朝貿易は通常、中国・遼寧省ルートが全体の3割程度を占める大動脈となっているが、昨年12月は吉林省から北朝鮮北東部へのルートが全貿易額の半分を超えた。このため、北朝鮮が今年4月に発射した長距離弾道ミサイルなどの関連部品が、昨年12月に集中して発射地点から近い吉林省ルートで運ばれた疑いが浮上している。部品の一部は、日本から中国経由で「迂回輸出」された可能性も指摘されている。

 日米両政府が入手した中朝貿易記録によると、中国の対北輸出額は昨年1年間で約20億3323万ドルだったが、昨年12月の1カ月間だけで約4億3121万ドルに上った。

 例年は中国・遼寧省から平壌に向けた輸出額が最も多く、昨年も1年間で6億3906万ドルを占めた。だが、12月に限ってみると、吉林省から北朝鮮北東部に向けた輸出額は遼寧省ルートの2・5倍以上で、1カ月間で約2億4114万ドル(昨年1年間では約4億2515万ドル)に達した。

遼寧省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E5%AF%A7%E7%9C%81


吉林省
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9E%97%E7%9C%81


 事実ヒョンヤンには返還されていないアメリカ海軍の船が未だ晒し物になっているのである。

アメリカ海軍
http://maps.google.com/mapst=h&q=38.991111,125.725278&ie=UTF8&ll
=38.991137,125.725817&spn=0.001693,0.003514&z=18

 

プエブロ (環境調査艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%
AD_(%E7%92%B0%E5%A2%83%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E8%89%A6
)

http://en.wikipedia.org/wiki/USS_Pueblo_(AGER-2)

プエブロ号事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%AD%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6


プエブロ号事件(プエブロごうじけん)は、1968年にアメリカ合衆国(以下「アメリカ」)の情報収集艦が朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)に拿捕された事件である。

概要

事件は北朝鮮が青瓦台襲撃未遂事件によって大韓民国大統領の朴正煕殺害を狙った1968年1月21日から僅か2日後の1月23日に起こった。

北朝鮮東岸の元山沖の公海上でアメリカ国家安全保障局(NSA)の電波情報収集任務に就いていたアメリカ海軍の環境調査艦プエブロが、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡、残る乗員82名が身柄を拘束され、北朝鮮当局の取り調べを受けた。但し、本当に領海侵犯が行なわれたかどうかについては、現在もアメリカと北朝鮮で主張が食い違っている。

アメリカ政府はアメリカ空軍に戦闘準備を命じ、海軍空母部隊(航空機200機)を日本海に展開して乗組員の解放を要求したが、北朝鮮はこれを拒否し、アメリカからの(領海侵犯についての)謝罪を要求した。アメリカは朝鮮戦争の休戦協定を破るわけにはいかず、またベトナム戦争が拡大し続ける中であり、戦線の拡大は北朝鮮の同盟国であるソビエト連邦の自動参戦を招きかねないことでもあった。

結局、アメリカは外交的解決として、板門店での会談で北朝鮮の用意したスパイ活動を認める謝罪文章に調印することとなった。乗員は11ヶ月の拘束の後の同年12月に解放された。プエブロ号の船体は返還されず、現在も北朝鮮の管理下に置かれて平壌市内の大同江で一般公開され、反米宣伝に利用されている。

このプエブロ号拿捕事件を受けて、当時ベトナム戦争の北爆任務前の休養のため日本に初めての原子力空母として寄港していたエンタープライズは北爆任務を中断して佐世保を緊急出港し、急遽、日本海へと向かった。朴正煕暗殺未遂に続いて起こった出来事に、朝鮮半島情勢は緊張。第2次朝鮮戦争の危機を感じさせる事件であった。

この事件は、アメリカを人質に捕ることで、朴正煕の北進を断念させる狙いがあったともいえる。一方、戦争の危険を省みずにアメリカに挑戦し、ぎりぎりの外交戦術で相手の譲歩を勝ち取る「瀬戸際外交」の始まりであったと見るものもいる。[1]・・・・・


 
USSPueblo
http://www.usspueblo.org/

The USS PUEBLO was a U. S. Navy vessel sent on an intelligence mission off the coast of North Korea. On January 23, 1968, the USS PUEBLO was attacked by North Korean naval vessels and MIG jets. Eighty-two surviving crew members were captured and held prisoner for 11 months. The pages on this site tell the story of the Pueblo Incident and present the USS PUEBLO Veteran's Association.・・・・

 

FOXNEWSより

40 Years After Capture, USS Pueblo Crew Reunites

http://www.foxnews.com/story/0,2933,418141,00.html
Saturday, September 06, 2008

JERICHO, Vt.  —  Ralph McClintock expected only a three-week mission when he boarded the USS Pueblo in January 1968.

Instead, he and his shipmates became pawns in a Cold War sideshow when North Korea captured the Navy spy ship and imprisoned its 82 crew members. Some still suffer the physical effects of torture or malnutrition they suffered in 11 months of captivity.

McClintock is proud of his service as a 24-year-old communications technician and the bonds he made with his crew mates, but that pride is tinged with bitterness.

"We were treated as heroes when we got back, but what the Navy, the institution of the Navy really wanted, in my opinion, is the Pueblo to have sunk," McClintock said at his Jericho home. "When we came back, the Navy now has to look at itself and they don't like to look at themselves."・・・・
 

 

USS Pueblo
http://www.youtube.com/watch?v=HlXiFpDoJ28

 

Pueblo

http://www.youtube.com/watch?v=7nBOG1U1MOM

 

これは露語だからプロパカンダニュースだったような
http://www.youtube.com/watch?v=wGLO_G8iV9w

 

 

アメリカ海軍EC-121機撃墜事件

EC-121

http://en.wikipedia.org/wiki/EC-121_shootdown_incident

アメリカ海軍EC-121機撃墜事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%B5%B7%E8%BB%8DEC-121%E6%A9%9F%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

アメリカ海軍EC-121機撃墜事件(英語:EC-121 shootdown incident)とは、アメリカ海軍所属のEC-121早期警戒機が朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)に撃墜された事件である。

事件の概要

1969年4月15日の火曜日の朝7時、日本の在日米軍厚木海軍飛行場から、アメリカ海軍所属の早期警戒機EC-121(ターボプロップ機)1機が離陸した。この機のコールサインはDeep Sea 129を使用していた。機内には8人の士官と23人のエンジニアが搭乗していた。そのうち1人はアメリカ海兵隊員1人であった。エンジニアのうち9人は、ロシア語と朝鮮語の暗号通信を解読する言語学者であった。Deep Sea 129に与えられた任務とは日本海に向かい、Musu pointと呼ばれるソ朝国境に近い北朝鮮の吉州郡沖合いで、ソ連と北朝鮮の電波情報収集活動(諜報活動)を行うことであった。この任務はEC-121が長さ120海里(222km)の楕円状の周回コースに沿って飛行するもので北東方向はソビエト連邦に向けたものであった。また名目上はアメリカ太平洋軍第7艦隊の指揮下であったが、実際にはアメリカ国家安全保障局が行っていた諜報活動であった。

この活動は2年間続けられており、北朝鮮の海岸から50海里(90km)よりも接近することは禁止されていた。それまで何事もなく北朝鮮からの反撃はなかった。だが12時34分(現地時間)に韓国のレーダーが北朝鮮のMiG-21戦闘機2機が離陸した事を感知した。Deep Sea 129が北朝鮮に捕捉されてしまったのであった。13時に予定通りに活動報告を送信したが、異常を感じさせるものではなかった。しかしミグ戦闘機が近づいていたため作戦の中止を伝達したが、その直後の13時47分にDeep Sea 129が撃墜され北朝鮮の海岸から90海里(167km)の日本海( 41°28′00″N, 131°35′00″E), に墜落した。搭乗していたアメリカ軍人31名全員が戦死した。

撃墜から1時間後には当時のニクソン大統領と国家安全保障担当補佐官であったヘンリー・キッシンジャーを含む国家指揮部に撃墜の事実が伝えられた。また捜索活動のためアメリカ空軍とアメリカ海軍の航空機が最大26機投入されたほか、巡洋艦(USSヘンリー.W.タッカーとUSSデイル)の2隻が4月15日の午後には佐世保基地から出港した。最初に機体の残骸を発見したのは翌朝9時30分であった。この海域にはソ連の艦艇や航空機も出動していた。4月17日の正午になってタッカーが2人の遺体を回収した。その後でソビエト駆逐艦Vodokhnovenny(D-429)と捕鯨船と遭遇した。残りの29人の遺体を発見することは出来なかった。

このように、日本海を舞台に数日間は米ソ両海軍による軍事的デモンストレーションが行われたが、当時のニクソン政権は北朝鮮の金日成政権に対する報復を行わなかった。その一方、北朝鮮の軍事力にアメリカの情報収集行動が妨げられないことを証明するため、一週間もしないうちに情報収集活動のための飛行を再開した・・・・

 


 更に言えば米海軍は中国にもやられた過去もある。


海南島事件
海南島事件

海南島事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%97%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

海南島事件(かいなんとうじけん 中国語:中美撞机事件、英語 Hainan Island Incident)とは、2001年に海南島付近の南シナ海上空でアメリカ合衆国と中華人民共和国の軍用機が空中衝突した事件である。中華人民共和国側の戦闘機は墜落しパイロットが行方不明になり、アメリカ側の電子偵察機も損傷し海南島に不時着したものの中華人民共和国側に身柄を拘束された。この事件のため一時的に米中間の軍事的摩擦が高まることとなった。

事件の概略

2001年4月1日、午前 8 時 55 分(中華人民共和国標準時)、海南島から東南に 110 キロメートルの南シナ海上空の公海上で中華人民共和国国内の無線通信傍受の偵察活動をしていたアメリカ海軍所属の電子偵察機 EP-3E と中国人民解放軍海軍航空隊所属の J-8II 戦闘機が空中衝突する事故が発生した。

そのため中国人民解放軍機が墜落しパイロットが行方不明になった(中国人民解放軍機のパイロットは救難信号の発信機を装備されておらず、パイロットスーツは救命胴衣と軍手でしかなかった)。一方のアメリカ軍偵察機は大きな損傷を負ったが、至近の海南島の飛行場に午前 9 時 33 分に不時着した。搭乗員は中華人民共和国当局によって身柄を拘束された・・・・


http://en.wikipedia.org/wiki/Hainan_Island_incident



 さてここまで読んで日本の置かれている立場が分かった方は今の与野党の茶番劇をどう見るだろうか。

 関係無いと言う方に質問だが、今回の紹介した米海軍のシギント部隊の事件は私達の生活に今や必要不可欠となった。

 インターネットや携帯電話、TVやラジオの技術にも密接に関係する技術を持っているのである。

 戦闘機に乗ったおねぇ様やプラモデルが好きな方じゃダメだしまして田母神さんに退職金を返せと言った方の意見をそのまま伝える間抜けのボンクラ様達にも私は理解出来ない。


Seaboard World Airlines Flight 253
http://en.wikipedia.org/wiki/Seaboard_World_Airlines_Flight_253


Seaboard World Airlines Flight 253 was involved in a Cold War incident in 1968. A military charter flight with 214 American troops on board bound for Vietnam was forced to land in the Soviet Union. The incident was a diplomatic embarrassment for the United States and resulted in all 238 Americans being detained for two days.

On the afternoon of July 1, 1968, a Seaboard World Airlines Douglas DC-8 Super 63CF departed Anchorage, Alaska bound for Yokota Air Base in Japan. The plane was piloted by Joseph D. Tosolini, with copilot Henry Treger, flight engineer Earl Scott, and navigator Lawrence Guernon. Originally from McChord Air Force Base, Washington the flight was bound for Cam Ranh Bay, Vietnam, with 214 American troops and 24 crew members aboard. The aircraft strayed westward of its planned track as it came into range of Japan, passing along the Kuril Islands. Japanese radar controllers notified the crew of the error. However before the crew could react, Soviet fighter aircraft, piloted by Yu. B. Alexandrov, V.A. Igonin, I.F. Evtoshenko and I.K. Moroz, intercepted the DC-8 at 7:20 pm and directed it to follow. The DC-8 was led to Burevestnik airfield on Iturup (Etorofu) Island, a small Soviet PVO interceptor base. It did so at 7:39 pm, touching down on the 2400 m (7900 ft) concrete runway.・・・・・


 

Seaboard Flight 253, Down in the Kuriles
http://www.seaboardairlines.org/misc/kuriles.htm


On July 1, 1968, a Seaboard DC-8-63CF enroute from Seattle to Tokyo carrying 214 military passengers was intercepted by Russian MiG fighters and forced to land on Iturup Island in the Kuriles. The account below was prepared by Capt. Bill Eastwood who was dead-heading. He was assisted in the preparation by Capt. Hank Treger, Capt. Tom Reinke, Chief Flight Engineer Ed Acree, and Chief Navigator Bob Schipper.

SEABOARD FLIGHT 253,  DOWN IN THE KURILES

Time dims memory - more precisely, time dulls the recollection of details, yet the memory of the main event stays alive. Fortunately, over the years since 1968, I have kept alive my recollection of that day Seaboard World flight 253 strayed off course and ended up in Russian hands. Recently, I received valuable documents and anecdotal evidence that have helped me fill out this account.

The flight began on the last day in June, 1968, at McChord AFB. Captain Temple Robinson ferried N8631 from JFK to begin this flight to Tokyo. A fresh crew with Captain Ralph Neary as check pilot and Ed Acree as check engineer was to take the plane with 214 military passengers as far as Tokyo. There, after a crew change, the passengers were to continue to Cam Ranh Bay in Vietnam. On this morning, after loading the passengers at McChord, a refueling stop was made at Seattle’s SEATAC airport, where the longer runways permitted maximum weight takeoff. This flight was also to be a proving run on the ability of the new DC8-63CF to fly nonstop from the U.S. West Coast to Japan.



 田母神さんと一緒にワインを飲んだ方も信用できないねぇ。

 写真のEP−3も以前よく身近で見ていたのでこの海南島事件を知ったときにショックだったなぁ・・。

 やっぱり永田町の住民は信用できない。
 平和や格差解消と叫ぶ人達程更に怪しいと思わなくてはいけないのかもしれない。

 誰だったかなぁ田母神さんに言論弾圧した方達は・・。(笑

 今でも嫌がらせしているとは卑怯だよねぇ。

 

以上