「動画無料公開」縄文だよ!
第四回目 縄文時代の女性はファッショナブルだった。
語り部:西垣内堅佑
企画・制作:オフイス・マツナガ



西垣内堅佑 略歴

1942年北海道出身。中央大学法学部卒。70年弁護士に。
警視総監公舎爆破未遂事件(無罪確定)、よど号ハイジャック事件などの公安事件を手がけ、「代用監獄」制度などの告発など硬派の弁護士として鳴らした。
著書に『六法全書を引っさげて縄文人が来た』『イラスト憲法』など。
NPO法人国際縄文学協会理事長。

通称:縄文おじさん

憲法 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 15)
著者:西垣内 堅佑
販売元:現代書館
発売日:1983-01
おすすめ度:5.0
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六法全書をひっさげて縄文人が来た (1985年)
著者:西垣内 堅佑
販売元:現代評論社
発売日:1985-09
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動画は「youtubeバージョン」Part1(7分44秒)
Part 2(8分13秒)
無料公開


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「動画無料公開」縄文だよ!
第四回目 縄文時代の女性はファッショナブルだった。
語り部:西垣内堅佑
企画・制作:オフイス・マツナガ




Part 1(7分44秒)




Part 2(8分13秒)


「インタビュー要旨」:


 縄文時代は、平均して今より、5〜6度ぐらい温度が高かった。

 旧石器時代は氷河期の時代で寒かったので、毛皮を着ないと生きていけないし、生活も動物の肉を主食としていた。
 ですから、動物から毛皮を取って衣裳にするというのは、ごくあたりまえのことだった。

 縄文時代は、植物性のものが7割、小動物だし、大した毛皮も取れなし、あまり必要としなかった。 一万年間、縄文時代が続いたとしたら、5千年ごとに寒冷が押し寄せますから、そういうときには毛皮も必要だったかも知れないけれども、でも、だいたい暖かい時代で、むしろ、麻の衣裳を着ていた。

 発掘されるものの中に、きれいな衣裳が出てくるんですが、それが麻。
 麻は風通しがいいし、暖かい時代には、非常にぴったりのファッショであった。

 麻を編んだというのが、発掘されたものの中からわかる形で出ている。

 特に女性のファッションが、実に素晴らしいし、きらびやかで、今の人たちより、ズーッと素晴らしいというのがお話しできればなと思っています。

 発掘されたものからわかりますが、イヤリング、ネックレス、腕輪、腰あたりのもの・・・いろんなところに石とか貝とか、翡翠とか、そういうものが作られて、つけていた。

 日本の場合は、酸性化土壌なので、人骨はなかなか見つからないけれど、それでも、墓のあととか、女性の今で言う棺桶みたいな中から、女性の身につけられたものが残っている。

 女性は当時、ファッショナブルな生活をしていた。
 魔よけ的なというか、自分を守るというか、霊的な意味合いがあったのではないかと思います。

 シャーマン的なというか、力を持った人、指導者とか、その人達が死んだ後は、着飾っていたものは豪華というか豊かであった。
 階層性というのが適切であるかどうかわかりませんが、多少の違いはあったにしても、ファッショナブルな点においては、基本的には同じで、男性より女性の方が身を飾るものをつけていた。

ーーそれは、一般的に今で言うファッションというよりも、宗教的・・・?

 おそらく、宗教的な意味合いが強かったのではないかと・・・
 でも、人間というのは、今も昔もそんなに変わらないので、男女に違いとか・・・
 男性に対するアピールという面もないではなかったと。
 きれいにしたいという女性の願いみたいのが、単に宗教的ということでは説明つかない面もあるのではないかと・・・これは推定ですけれど。

 今の人達は、ほとんど宗教性ということをあまり意識しないし持たないのではないのか。
 そういう違いで言えば、縄文時代の方が、全て霊的なものに結びつくような行動をとっていた特徴がありますから、ファッションについても、そういう側面があるのではないかと言っているわけです。

ーー縄文の文様について

 渦巻き文様とか、これは、日本だけでなくて、アイヌの衣裳などにも残ってますけれど、
 世界の古代の紋様とも共通している、蛇模様を文様化しているものが多いのと、渦巻き模様、これは、おそらく生命的なエネルギーとカタールような表現ではないのか・・・

 それから、髪の毛は上で結っている。
 髪の毛にも凝っていた。
 そのときの流行みたいなのがあって、それも土偶の表現にも表れている。

 縄文人は、ものすごく美意識が高かった。
 縄文の遺跡を訪ねると、ほとんどの遺跡のまわりが、実に美しい景観。
 美しい山があったりとか、生活に関係ありますけれど、泉が湧いていたり、川のそばとか、水と関係あるところはありますけど・・
 生活と関係なく、美しい景色のあるところを選んでいるのがよくわかる。

 今までの歴史観からいったら、古い時代があって、だんだん新しくなって現代があって、それが、古い時代が遅れていて、新しい時代の方が良くなっているという歴史観が、近代的歴史観がある。
 でも、古い時代が本当に遅れているのかと考えた場合に、ファッショとかひとつ例をとってもわかるように、本当に感動するような美意識、ファッションに出会うわけです。

 本当に人間が生きていく上において生命のみあう、自然と融合したような、逆らわないような調和的な生活をしていたという面があるので、美意識も関係していると思いますが、感動してしまう。

 そうすると古いから遅れているとは言えない。

 ほとんど戦争をしなかった時代と、どこでも戦争したり、戦争を仕掛けたり、戦争をつくり出している現代と、いったい比較してどちらがいいのか、あるいは、人間の生活にかなう生活なのか、考えたときに、今までの進歩史観だけでは、ものを見たりしてはいけない、歴史を見たりしてはいけないのではないか・・

 縄文のことを知れば知るほど感じるのです。


 以上