瘋癲老人のレイジーな日々

尖閣・魚釣島の灯台は昭和五十三年に日本青年社が建設、維持してきた。
新藤厚


閑人舎通信でおなじみの、新藤厚さんの連載が開始されます。新藤厚さんといえば、当方ボスの大先輩記者にあたります。経歴を書こうとしましたが、とても恐れ多くて書くことができません。


・・小生はカメラマン・井上和博、「憂国代議士」西村眞悟と尖閣諸島魚釣島にむかった・・魚釣島には山があり水がある。山羊もいる。この頃、この島は右翼民族派青年のサバイバルな合宿場所だった。
「石垣でチャーターした漁船が波が高くて岸に近づけないので、荷物はゴムボートで運び、自分らは百メートルほど泳いで島に上がる。もう必死ですよ。見ている海保の連中から〈よくやった〉と感心されたものです」
 我が「閑人舎」の兄弟分も合宿参加組の一人である。やはり亡くなった青年社の萩野谷さんの住民票はこの島に在った。運転免許証にもそう記されていた・・(本文より)

これまでの連載:

瘋癲老人のレイジーな日々 1 〈とても静かな、食うか、食われるか〉
瘋癲老人のレイジーな日々2 ときに老人に必要なのは年金と感傷である。
瘋癲老人のレイジーな日々3 御巣鷹の尾根・・「あの日」から崩壊の序曲は始まっていた。
瘋癲老人のレイジーな日々4 「朝日で死にざまを見せる」ついては十五階の見取り図が欲しい 野村秋介氏
瘋癲老人のレイジーな日々5 菅夫人の「不貞醜聞」が公然と語られていた頃



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尖閣・魚釣島の灯台は昭和五十三年に日本青年社が私費で建設、維持してきた。 2010年9月22日