ひょんなことから、ボスにつれられて文教族のセンセイ方の会合の末席にくわえていただいた。
  なにを隠そう、実は、私は父親の職業の都合で、小学校、中学校と転校をくりかえした。
  2年から長くても、3年に一度は、転校する定めにあった。
  数えてみれば、小中の義務教育課程、9年間で、5回転校している。

  その経験を話せ!というのだ。

  正直いってスポーツ音痴で、懸垂が一回もできなかった。体格も平均値より、やや小柄。しかも、やや肥満というか、小太り。
  色白で、小学校から眼鏡をかけていて、外で遊ぶよりも家の中にいて、少年少女文学全集やSF小説みたいなものを読んだり、プラモデルをつくっているのが好きな、内向的な少年だった。
  いわゆる、オタク系の少年だったかもしれない。しかし、残念ながら、当時は、PCもプレステもなかった。でも勉強はややできた。どこの学校に転校しても、だいたい、学年のトップ5にははいった・・・・・・。

  これは、なにを意味するか?
  典型的な「いじめられっ子」なのだ。

  転校すると、その日の放課後には、たいてい悪ガキどもから、体育館の裏庭に呼び出される。
  あれこれ聞かれ、嘲笑され、小突かれる。口だけは達者だったから楯突くものなら、袋叩きにあった。ズボンを脱がされたこともあった。漫画雑誌や、本などを没収される。
  これは、ボスとおなじで、やや「どもり」だったので、授業中など教師とのやりとりで、「どもる」とあれこれ、囃し立てられる。休み時間も、その「どもり」のことが、あれこれいわれた。

  ま、「いじめられた」のだ。

  しかし、転校をくりかえしていた私にとって、それは日常のことだから、「堪えればいい」とあきらめていた。

 

  あきらめればいいとおもった少年は、どんどん、内向的になる。
  しかし、これは少年の心のなせるワザか、登校拒否はできなかった。当時は、登校拒否という言葉はなかったから、「さぼる」と、頑固者の父親から、鉄拳制裁をくらった。悪ガキの「いじめ」よりも「親父」のほうが、怖かった。だから、さぼる=登校拒否はできなかった。
  勉強はややできたから、教師からは、かわいがられた。それは、同時に、「いじめ」が増長することになる。当時は、「いじめ」という言葉もなかった。なかったからか、「自殺」するなど、おもいもよらなかった。そのかわり、本や、SF小説にどんどん、のめり込んでいた。空想的にして内向的な少年がこうしてできあがってくる。

  小学校時代の「いじめ」は、「堪える」ことと「あきらめる」ことで、しのぐことができたかもしれない。しかし、中学校になってから「いじめ」は、恐喝の対象になった。小遣いが巻き上げられるのだ。
  だれにも相談しなかったし、こうしたことを、相談するのは、恥ずかしいことだとおもっていた。

  その私が、ある時に、劇的に環境が変化したのだ。

  これを、話すのはつらいことだ。
  中学1年の夏休みのことだった。
  夏祭りの縁日を、それとなくあるいていた。
  テキ屋の若いおにーちゃんが、今でいうところの、飛び出しナイフをもてあそんでいたのだ。
  そのナイフさばきは、見事だった。くるくるまわしたとおもうと、「すぱり」と、銀色にとぎすまされたナイフの切っ先が飛び出す。ポケットにしまったかとおもうと、一瞬にして、とりだし、その銀色の切っ先が、きらりと光る。西部劇で、拳銃をくるくるまわして、ガンホルダーにしまうような、そんな見事な手さばきだった。多分、青白い顔をした、眼鏡をかけた、小太りの少年が、魅入られるように、その「飛び出しナイフ」を凝視していたのだろう。
  こっちにこい!と、テキ屋の若いにーちゃんが、手招きした。本来なら、恐怖感をおぼえなくてはならない相手かもしれない。しかし、「いじめ」に堪えることをおぼえていた少年には、その恐怖感はさしたるものでなかった。それよりも、銀色の切っ先に、魅入られていたのだ。

「こう、やるんだ!やってみろ!」
 テキ屋のおにーちゃんは、私にその飛び出しナイフを渡す。
 しかし、くるくる回すことも、左右の手の平の間を、お手玉のように、いったりきたりさせることも、「すぱり」と、切っ先を飛び出させることもできない。
「おまえ鈍いな!」・・・・嘲笑されながらも、彼は、私の真剣さに免じるかのように、次々と、その飛び出しナイフのさばき方をおしえる。不良少年の親切さというやつだろう。
 ・・・・・・・・・・・・・・・

 そして、私は、小遣いからなにから、すべて処分して、その「飛び出しナイフ」を入手した。
 しかし、臆病な少年が、その「飛び出しナイフ」を、ズボンの尻ポケットに忍ばせるにはやや時間がかかる。深夜、ひとりで、そのナイフのさばきを練習したのだ。そのテキ屋のおにーちゃんの、手さばきを思い出しながら・・・・・

  中学2年生になる直前に、また、転校することになった。
  中学2年の新学期を、新しい中学校でむかえなくてはならなくなった。
  その転校日の初日に、私は、今日、おこるであろうことを十分に想像した。これまでの経験そくだ。たいした覚悟もなく、押し入れの天井裏に隠していた「飛び出しナイフ」を、ズボンの尻ポケットにしまいこんだ。
  転校日の初日の昼休みだった。たいていは、放課後だったけれど、その日は、昼休みに、不良グループに呼び出された。この頃になると、いじめは単なる、いじめでなくて、明確な目的をもったいじめになる。それは、「恐喝」だ。
  「おまえ新顔だな?すこし、小遣いかしてくれないか?」
  ソリをいれた、悪ガキのボス格らしい少年が、「ガンをつけながら」、下卑たニキビ面の笑顔を浮かべ迫る。相手は、4−5人。目的はあきらか。いくばくかの「小遣い」を渡せば、彼らは退却するだろう。拒めば、小突いてくる。

  これは、無条件に手が動いた。無意識でない。無条件に・・・・
  相手には、尻ポケットに入っている財布をとりだすとおもったかもしれない。
  しかし、そこからでてきたのは、銀色に光った「切っ先」だった。

  躊躇はなかった。まず、そのボス格の少年の、右足太ももを刺した。「すぱり」と・・・。
  彼が、転倒するより先に、そのナイフを抜くと、深夜、密かに練習した「ナイフさばき」の体勢をとった。くるくると、ナイフをまわした。そして、次の体勢の構えにはいる。
  少年達は、そのボス格の少年を抱きかかえ、退散した。

  これですべてが、おわるはずだった。無条件に・・・・。

  しかし、翌日には、両親に連れられて、私は、最寄りの警察署に出頭していた。
  親父は、怒らなかった。殴りもしなかった。
  一日会っただけの、担当の教員は、オロオロしていた。
  教頭とかいう、頭のはげ上げた教員は、

「開校始まって以来」とか、「大事に至らずにすんだ」とか、「大変な不祥事」とか、ひとり喚いていた。

  始末書みたいのに、サインさせられた。
  親父は、媚びもせず、謝罪もせず、私を叱ることもしなかった。
  母親は、ただ泣いていた。しかし、私をなじることもなかった。泣くのが母親の特権といわんばかりに、ハンカチを握りしめ、泣いていた。

  父親は、
「すべておまかせします」
  といって、初めて頭をさげた。
  このセリフだけは、明確に覚えている。
  すでに、あきらめることを、知っていた私は、いいセリフだとおもった。

「すべておまかせします」
  と、私もいったかもしれない。

  その夜、遅く自宅に帰ると、親父が、座れ!という。
  「飲め!」と言って、毎晩楽しみにしている晩酌の一合とっくりから、私のコップになみなみと日本酒をついだ。無口な親父だった。
  私は、一息で飲んだ。そして、この件で、はじめて泣いた。
  たぶん、大声で、泣いたとおもう。

  それから、一週間後に、二つ町離れた私立の中学校に転校した。
  バス通学する距離だった。
  ここで、私は、一切のいじめにあわなかった。
  不良グループがいたかもしれないが、彼らは、私を避けるようにした。
  同級生のほとんども、私を避けた。噂がすでに伝達されていたのだろう。
  しかし、それは、私にとって、初めての安住だったかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  といった話をした。
  話を聞いていた文教族のセンセイ方は、息をのんだ。
  なんか、場違いな、きまずい空気が流れた。

  ボスがしめくくった。
「ま、いわゆる復讐ですな。少年達に復讐をおしえるべきですな」
  おもい空気のまま、その会合はおわった。

  それだけです・・・。

  とおもっていたら、以下のコラムを見つけた。
  紹介したい。

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら

11/26

 イジメ自殺が社会問題となっている。新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。イジメに苦しむ少年少女よ、あんなものが何の役にも立たないことは、君たち自身が一番良く知っている。唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっているではないか。
 実はイジメ自殺は何年かごとに社会問題となり、そのたびに真実の声が良識という名の愚論によって圧殺されてきたのだ。十一年前にもイジメ自殺が相次ぎ「少年ジャンプ」が悲痛な叫びを特集連載した。それをまとめた『いじめレポート』(集英社)にこんな声がある。「徹底的に体を鍛えた。復讐(ふくしゅう)のために…。やられる前にやれ!」(A男)。A君は拳法、柔道で「歩く凶器」となり、イジメを粉砕した。睡眠薬自殺未遂のC子さんは、死を思う気持ちよりも「憎しみの方が強くなった」「私もガンガン殴り返す」「女でもやるときはやるんだ!」。別の女児もこう言う。「どうしても死ぬっていうんなら、いじめた奴に復讐してからにしなよ」
 学校では報復・復讐は道徳的な悪だと教える。しかし、それは嘘だ。人間が本来的に持っている復讐権を近代国家が独占したに過ぎない。大学で法制史を学べばすぐわかる。復讐は道徳的には正しいのだ。現に、ロシヤに抑圧され続けたチェチェン人は果敢に復讐をしているではないか。
 被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ。少年法が君たちを守ってくれるから。(私の場合は、インパクトが鋭角だった。1wは、吹き上がる。アイアンでは、みせかけのダウンブローで、すこしずれると厚めにはいった。傾斜に弱い。弾道が弱い。距離、方向が正確にでない。



産経新聞

 

  文責:その他
  監修;ボス

      注意!:本稿は、オフイス・マツナガのスタッフである「その他」の、実際の経験を書かせたものであります。なお、その他は、家庭裁判所に送致され、保護司さんの指導のもとで、中学を卒業いたしました。その委細については、当人のプライバシーに関することと考え詳細は記述させませんでした。つまり、当時の少年法にもとずき、相当の処分をうけたのです。
  復讐について、推薦したり、復讐をあおるものではありません。
  表現としては、当人の経験談としては、妥当なものであると考えます。
  よって、削除勧告は、うけがたいものであると考えます。


  12月10日追記、松永他加志。
  

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