「偉そうなことを言って労組を押さえていたあの又市幹事長が全く国会に出てこない。女性スキャンダルは本物じゃないのか。大手週刊誌が女を口説いたとか写真週刊誌が女とのツーショットを撮ったらしい。これがでればお仕舞いだ」
なんて情報が永田町を飛びまくっている。
又市幹事長は地方遊説とかでその姿が見えないのだが・・・・。
この話の元は大阪の雑誌にわずか2〜3行載ったに過ぎないのだ。
(参考別室資料室:コンフィデンシャルOSAKA2007年02月02日
しかも、真偽のほどは不明で又市幹事長が「そんな話は根拠もないし事実無根だ」とつっぱねれば問題なかったはず?
それが「柳沢厚労大臣辞任要求」という大事な野党党首会談に欠席したものだから話が大きくなってしまった。
歴史を振り返るとこんな事があった。
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1180(治承4)年10月 富士川の戦い
平清盛は頼朝挙兵の知らせを聞くと孫の維盛を大将として征伐に向かわせた。
一方の頼朝は関東武士団を率いてて進軍。源平双方は富士川をはさんで相対することとなった。
ところが、寄せ集めの平家軍は根性がない。富士川付近の沼からいっせいに飛び立った数万羽の水鳥の音に驚き「すわ!源氏軍の襲来か!」と慌てふためき軍事的な布陣はバラバラ。平家軍は大慌てで退散したのである。
ついでに言うと、何もせずに勝利を収めた頼朝は自軍の勢力拡大のためまづ東国を手中に収める事が先決と平家敗走軍を追跡せずに黄瀬川に引き上げた。
あの義経は奥州衣川から急遽黄瀬川に駆けつけ腹違いの兄・頼朝と涙の対面を果たした。
こんな歴史話を持ち出すような事でもない。
まあ、噂話のたぐいなのに「永田町は大騒ぎ」になるのかねー。
社民党は以前の労組依存集団ではない。福島瑞穂代表や辻本清美に代表されるような
女性優先党に生まれかわっている。
そんな女性優先党の中にあって「幹事長が売春した。しかも料金を値切った」なんて事が起これば「女性蔑視」そのもの。
即刻「議員辞職」を通告されかねない。
又市幹事長も表に出て「売春疑惑」を「何の証拠もない。作り話だ」なんて払拭すれば いいと思うのだが・・・・・。
昨年暮れから本間政府税調会長ー佐田行革担当大臣ー角田参議院副議長に続く柳沢厚労大臣(辞任必死)まだまだ火種を抱えている大臣のなんと多いことか。
与党ー野党ーまた与党ーそして野党の辞任。
ああああー日本の国会議員はこの程度なんでしょうかね・・・。
「今国会は戦後最低の国会だ」
三十数年にわたって国会議員生活を経験してきた渡部恒三元衆議院副議長はぽつりとこう呟いた。
以上