福田康夫政権が誕生した。

 親中国派、媚中派政権というレッテルがあちこちで、貼られているけど嫌韓厨はCIAの手羽先だったというエントリーにもあるように、この手のレッテルというか、無精な物書きや、無精な評論家が安易につかうような形容詞というのは、よほど腹をすえて使わないと訳が分からなくなる。すでに、倒閣ロビー活動に着手されている二階堂ドットコムさんは、一見、無精な物書きのようにみえ、やんちゃにみえるが、ここは確信犯であり、具体的な裏をもってこうした用語をつかっている。セルフロビイストの面目躍如ということだろう。だから、素人が安易に真似したり、ちゃちゃ入れると火傷するから、注意が必要です。

 「レッテルはり」とは、情報操作や、世論調査の基本。はたまた政敵を粛正したり、赤狩りや、魔女狩りでもつかわれる手法。これはナチスドイツの例をひかなくても、旧約聖書や新約聖書でもその効能について、書かれているぐらいだから、効果は十分にあるのだろう。だから、うちではせいぜい、「親中国派」という穏健な表現しかつわない。それは、頭が悪いからということもあるけど、本当はよくわかっていないという怠慢からくる。この怠慢というのは、当事務所の伝統芸で、みんなが北に取材にむかえば、「なら、お前は南へ行け」(ボス指令書のその7か8ぐらい)という当てずっぽうな取材を得意とするからだ。これは天の邪鬼とも、まして取材の極意でもない。ろくでもないだけなんだけど、これについては後述するけど、誰も読んでくれないか・・・・。

 ところで、福田政権の官邸陣容がきまった。

 官房長官 町村 信孝(清和会)
 官房副長官(政務) 大野松茂(清和会)
              岩城光英(清和会)
 官房副長官(事務) 二橋正弘
 政務秘書官     福田達夫
 事務秘書官      林信光(財務省 文書課長80年入省)
              石兼公博(外務省 国際協力局政策課長81年入省)
                                       栗生俊一(警察庁 刑事企画課長81年入庁)
   おまけで、

 首相補佐官                中山恭子
                                     山谷えり子

   ま、いろいろな内閣が誕生してきたし、これからも誕生するけど、党人事、組閣人事ばかりに目がいくようだけど、永田町の古強者の政治記者は、まず、この官邸人事をチェックする。なぜ、チェックするかというと、うちの事務所では「みんなが北なら、お前は南」という伝統にのっとっているだけで、本当の理由はわからない。ただし、政権にとって一番の鬼門であるスキャンダルは、ま、閣僚のスキャンダルはそこそこ恒例として、上記、官邸スタッフのスキャンダルが炸裂すれば、致命傷といわれる。ま、中山恭子さんや、山谷えり子さんの、ヘアヌード写真や、不倫写真が流出しても、あまり影響ないから、失礼とおもいながら、<おまけ>とさせていただいた。

 だから、ネットでは無数のブログ記者というか、ブログ調査マンがいるわけで、上記で記述した「レッテル張り」について、ほんの少し心にとめて、動き出すと、ネットは、誰ということでなくて、確実に、第5の権力になりうる。なぜ「レッテル張り」に留意するかというと、もう一息で、ターゲットにとどくかもしれないという取材や、調査が、この安直な「レッテル張り」で安心してしまって、わかったつもりになって、つまり、挿入直前に射精となってしまうからで、ま、射精したらいいだろうという向きもあるかもしれないけど、やはり、ちゃんと挿入したい。
 もっともさらに、大事なことは、「ネットが第5の権力になる」と書くと、すぐにその権力を仕切りたがる奴がでてくる。マスコミが第4の権力となって、ナベツネさんや、氏家さんみたいに「仕切る」もしくは、「仕切ろう」という奴がでてくるから、これは困ったものである。世の中には「仕切りたがり屋」というのがいるけど、、仕切るのは、宴会や合コンや、はたまた談合、鍋奉行だけにしてほしい。
 もっとも中途半端な仕切り屋や、寸借詐欺師や、工作員がでてくると、2chあたりが、速攻でお祭りにしてくれるから、ネット社会は、マスコミ社会よりも数段健全で、自浄作用効果をもっているかもしれない。あ、この辺は後は、誰かにまかせた。

 ところで、福田政権の官邸陣容なんだけど、特にゴシックにしたところをみてほしい。
 町村信孝 二橋正弘 福田達夫の3人を太字にした。本当は、福田さんが官房長官時代でも秘書官だった財務省の林、外務省の石兼も太字にしたかったのだけど、そうすると、ますます、原稿内容がとっちらかるので、これは、他の人にまかせた。この2人の現役官僚を調べると、ま、だいたいの、福田さんの経済政策や、外交政策がわかる。この辺がわかってから、「福田康夫はチャイナスクール」と書いて欲しい。

 問題は、安倍さんの時に外された二橋正弘さん、と、見慣れない名前の福田達夫さん。
 安倍さんの時も、官房副長官(事務)政務秘書が注目された。
 政務秘書官で有名なのは、小泉政権時代の飯島勲さん。逆にダメ印の烙印をおされた安倍政権時代の井上義行さん。井上さんは「電車でゴー」らしいけど、二橋さんは、、「皇室典範改正法案」を強行しようとして、安倍さんと衝突してしまって、安倍さんにはずされたけど、福田さんは、「首相が背水の陣の中でいろいろな課題に緊急に取り組むため、官邸に慣れた二橋さんの力が必要だと判断したと理解している」(町村官房長官談)ということで、カムバックなんです。

 あと官邸機能とか、官邸人事に関しては、いまだに多くのマスコミ関係者に参考にしていただいている、以下の過去エントリーを参考ください。

ポスト小泉・安部晋三の2人の首相秘書官 2006年08月08日
井上義行氏 坂篤郎氏 安倍政権のキーマン二人 2006年09月25日
安倍晋三事務所の人事・・・マイナー系情報 2006年09月29日
安部内閣崩壊は近い。山場は予算案採決後か? 2007年01月13日
安倍内閣3人の戦犯 2007年01月20日
井上義行秘書官は「電車でゴー」 2007年09月20日

 それでやっと本題の福田達夫政務秘書官の話題にはいります。

福田親子

 

 

 

 

  まず、写真でいきましょう。むかって左側が福田康夫さんですね。右側の濃紺のYシャツを着ている人が、福田達夫さんです。鼻のあたりが似ていますね。濃紺のYシャツに注目。これが、のちのち、ちょっとした試練を与えます。
 そうです、今回、福田政権で政務秘書官で官邸入りされた福田達夫(40)さん、福田康夫さんのご長男です。

 福田一家は、妻・貴代子に長男・達夫、長女・綾子、次男・繁夫(住友商事)。の5人家族。妾宅の存在は現在確認されていませんというか、「恐妻家だからそっちのスキャンダルはない」(内閣調査室)、もっとも辻野記者によると「丸善石油時代に手をつけた女がいる」ということですが、そりゃ、サラリーマンを長年やっていれば、おつきあいする女性の1人や2人ぐらい、浮いた話のひとつやふたつぐらいあるでしょう。ないほうが異常です。ですから、うちではこれは却下されます。他の方どうぞ。

  長男・達夫は元三菱商事社員。ちなみに次男・繁夫は住友商事にはいっている。息子は2人とも商社マン。
 康夫が官房長官になったとき、政務秘書官だった秘書が病気で入院。ピンチヒッターというわけではないけど、福田康夫が「こっちを手伝ってくれ」と会社を辞め長男・達夫は永田町入りする。

 そういえば、福田康夫さんは、福田赳夫さんの長男としてうまれるけれど、本当は、政治家になりたくなかった。「いやいや、政治家になった」という話は有名ですね。本当は、次男の征夫さんが、赳夫さんのあとを継ぐはずだった。 
 征夫さんは、福田赳夫の次男だけど、群馬県伊香保町の旅館「横手館」のオーナー社長夫妻の養子になった。つまり、横手征夫となる。しかし、横手征夫さんは、養子先の旅館を継がないで、実父・赳夫さんの第一秘書になったわけです。なんと、ボスの周辺に当時の、横手征夫さんを取材したことのある、おじいちゃん政治記者がいましたので、その話をきいてみましょう。

「征夫(横手征夫)さんは、康夫さんとちがって、豪快でおおらかで、面倒見がいい、親分タイプだった。福田赳夫さんの後継者は、だれもが、征夫さんだとおもっていた。福田赳夫さんは、世田谷に住んでいたけど、征夫さんもその近所にすんでいて、よく取材にいった。赳夫さんは、ケチで有名だったけれど、征夫さんは正反対。征夫さんの家にいくと、まず、『飯食ったか?腹減っていないか?』からはじまる。養子先が有名旅館ということもあってかしらないけれど、いつも山海の珍味があって、『おう、なんでも食っていけ!酒飲め!』。
 たしか、当時では珍しいキューバ産の高級葉巻が、テーブルの上においてあって、物欲しげにみていたら、『おう、好きなだけ持って行け』と、高級葉巻をごっそりと握って、渡してくれた。その後、康夫さんも取材してけど、まったく性格は正反対・笑」
 つまり、福田赳夫の後継は、次男の征夫のはずだった。ところが、福田赳夫が総理大臣の時に、政務秘書官だった征夫は、癌で倒れる。
 急遽、後継者さがしとなった。次男がだめなら長男。当然、康夫に白羽の矢がたった。しかし、康夫は「政治家になる気はない」と固辞。しかし、地元後援会が紛糾した。この経緯については、諸説があって、のちのち明らかになるとおもうが、いずれにしても、康夫は長年つとめていた丸善石油(現コスモ石油)を退社して、政界入り。しかも、いきなりの政務秘書官として、官邸入りを果たすのだ。

  これは本人はあまりしゃべらないが、いきなりの官邸入り、政務秘書官では相当の苦労をしたようだ。そこで、自分の長男、達夫を政界入りさせるにはあたっては、いきなり官邸入りさせていない。

 そこで、福田康夫の長男、達夫の話にもどる。

 父・康夫の要請によって、福田達夫は永田町入りするのだが、当時、福田康夫は官房長官。達夫は、当初、官房長官秘書官として官邸に入ると思っていたようだが、福田康夫が「お前はこんなところ(官邸)に来る人間じゃない。当分は会館の事務所で修業してろ」といわれ、第一議員会館611号室に私設秘書から、はじめるのだ。

 ところが、達夫は商社時代の慣れからか、いつも濃紺のワイシャツを着て会館に来ていた。永田町というのは変なところが保守的で、秘書仲間からは、「何だ、あいつは派手なかっこうをして」などと揶揄されたという。濃紺のYシャツが何で、派手なのかわからないけれど、ま、三菱商事のやつというのは、特有のカラーがあって、ボスにも知り合いがいるけど、いってみれば、電通と博報堂の奴がふたりいれば、どいつが、電通の奴かとすぐに、わかるというのとおなじぐらいに、「ああ、商事さんですね」とわかってしまうのが、三菱商事の人間だ。オレは、どちらかという住商の奴のほうがすきだけど、それは、ま、どうでもいい。
 ようするに、電通や、商事の奴というのは、本人は普通にしていても、「エラソー」に見えるのだ。これは、いたしかたない。
 だいたい、政治家の秘書というのは、「エラソー」に見られたら、「アウト」といわれる。「エラソーに見えるのは、飯島勲だけでいい」(ボス談)といわれるぐらい。
 当然、永田町にはいった達夫は、世間や、後援会からは、厳しい視線を浴びさせられる。評判も芳しくない。当然、これを狙って福田康夫は、長男・達夫をいきなり官邸にいれずに、いち私設秘書として永田町デビューさせたのだろう。ま、自分の経験上の反省からきたものか、どうか、今度、聞いてみよう。

 そこで、ささやかな「濃紺Yシャツ事件」がおきる。
 ある日、福田康夫の親戚が会館事務所に来たときだ。めざとく、達夫の濃紺Yシャツをみつけた。
「何だ、お前の格好は。秘書というのは白いシャツを着てパリッとしてる物だ。青いシャツでなく白いのを着てこい」
 と一括する。なんせ、福田家の親戚といえば、内閣総理大臣を輩出した一族の親戚である。当然、一言居士のおっさんか、おばさんの一人や2人はいるだろう。いや、もっといるかもしれん。
 しかし、そこは元三菱商事。
「僕は、これしか持ってないんです」
 と即答。つまり、「なんか問題あるか?」と言いたかったのだろう。
 しかし、最近は白いシャツを着て秘書らしくビシッとしているということだが、こうなるまでに数年かかったとされる。だが、うちのボスあたりなら、「濃紺のYシャツをビシッときて、堂々と官邸に出入りしたら、爺親子3代の総理大臣誕生も可能だ」といいそうだけど、実は、言っていない。これは残念。

 しかし、さすがに元三菱商事だ。
 
 昨年、福田康夫が米国政府の要人に会うためアメリカへ行ったときである。当時は「麻垣康三」といわれ福田康夫も総裁候補だったから、マスコミ各社も福田康夫に同行した。
「来たかったら来ればいい」と無愛想な福田康夫に閉口しながらもアメリカに行ったマスコミ各社はワシントン詣でが終わった後、ホテルで福田康夫に記者懇を要求した。
 ところが、出てきたのは福田康夫に同行していた達夫だった。
 達夫はいきなり、
「あんた等のカメラがどーっと出てくるんで、危ないじゃないか。何でこんな事をするんだ。大体今のマスコミはおかしい」
 と30分にわたってマスコミ批判を繰り返した。
 これには同行した記者たちも、
「なんだあいつは。福田さんの談話が取れると思ってアメリカまできたのに。親父の代わりに用もない息子が来て文句を言う。帰国してからは社からは、一体、アメリカで何をやっていたんだと文句を言われるし、達夫のお陰でろくな事はなかった」
 と福田康夫・達夫の対応に不満をもらしていた。
 これは、週刊新潮では、 
「30分の説教」で訪米記者を怒らせた「福田康夫」秘書
 
というタイトルで記事になってしまった。記事内容は、読まなくても週刊新潮ならどう書くか、手に取るようにわかるタイトル。これこそ、週刊新潮の面目躍如。
 えーと、バックナンバーをお探しの場合は、実はうちも正確な発売日を失念してしまったのですが、、福田康夫氏の訪米は、昨年の5月10日から18日だから、その1週間か、2週間後の記事だとおもいます。週刊新潮の編集部に問い合わせした場合、うちのスタッフのような親切な記者が電話をとると、親切におしえてくれるとおもいますが、うちのボスのようなエラソーにしている編集者が電話をとると、「大宅文庫いけ!」というかもしれませんので、あとは、運次第です。

 さて、その福田達夫さんだが、実は、永田町関係者に親父像を語ったことがある。
「親父は頑固者でおっかない。子供の頃、親父から『教育勅語』を暗記しろといわれた。この時、親父は竹刀をもって『暗記しろ』とブッ叩きながら暗記を強要された事があるよ」
 という衝撃の告白。
 『教育勅語』ですよ。『教育勅語』。
 これは、ノーコメントとするしかない。
 
 この福田達夫さんだけど、2004年10月30日に、帝国ホテル・宴会場「孔雀東」で、小泉純一郎首相などをご招待して、結婚披露宴をあげているのだけど、実は、この結婚に父・康夫は猛烈に反対したそうだ。お相手は、三菱商事時代の部下(注意:部下ではないという指摘あり。同僚と訂正)ということだけど、実は、うちは詳細な情報はもっていない。
 しかし、オヤジも頑固者なら、元三菱商事も頑固者。
 父・康夫が「ウン」と言わない。ずるずると結婚は伸びた。しかし、その内、父・康夫が根負けしてようやく結婚できることになったそうだ。だいたい、父と息子の頑固勝負は、最後は息子が勝つというストーリーが、一番、ハッピーエンドで、戦後日本の定番ストーリーらしいから、ま、めでたしめでたし。

 その長男・達夫につい最近男の子が生まれた。
 名前は「徳夫(のりお)」。
 達夫本人がつけたという。
 あれほど結婚に反対していた福田康夫は「孫の徳夫を抱くのが愉しみ」と今では孫のお陰で好々爺に成り下がり、だいぶ、人間が円くなったそうである。

 めでたし、めでたし。

 ちなみに、

 福田康夫
 麻布高校ー早稲田大学政経学部ー丸善石油ー政界入り
 
 福田達夫
 高崎高校ー東大法学部 (注意:東大でなく慶応との指摘あり)ー三菱商事ー政界入り

 ところで、福田康夫は今回、総理にならなかったら「次の総選挙には引退し、達夫を自分の後継に」と考えていたようです。

以上

管理人拝

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注意:経歴、学歴の間違いがあるとの指摘がありました。ご指摘に感謝いたします。