田村秀昭・前参議院議員がなくなった。
1月8日に予定されている秋山直紀氏の参考人招致で、ひとつの「キーマン」になると想定されていた人物である。
![]() 時事通信 |
田村 秀昭さん(たむら・ひであき=元国民新党参院議員)(01/05 09:51) 北海道新聞, Japan - 4日午後4時33分、胃がんのため死去、75歳。東京都出身。自宅は東京都世田谷区駒沢3の14の12。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。 ... 田村秀昭氏死去 元参院議員 |
まだ、うちのボスが戦線に戻っていないので、これ以上のことは、聞いているが、書けない。
というわけで、Wikipediaによると、
1932年、東京都に生まれる。東京都立大学附属高等学校から防衛大学校へ進み、1957年に第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院に進学する。 京都大学大学院では冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士を取得。
航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月 -)を歴任。
退官後、1989年の第15回参議院議員通常選挙で初当選。1993年、自民党を離党し新生党の結党に参加。細川内閣では沖縄開発政務次官。翌年(1994年)の羽田孜内閣では参議院外務委員長。同年末、新進党結成に参画する。新進党で再選。1997年の新進党分裂後は、自由党の結党に参画(自由党で3選)。
2003年、自由党解党にともない、民主党に合流(参議院外交防衛委員・参議院国際問題に関する調査会委員)。
2005年8月17日、党の安全保障政策への不満から民主党を離党し国民新党の結党に参画した(副代表)。民主党は新党参画行為を反党行為として除籍処分を下した。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退。11月、山田洋行に役員待遇の顧問として採用するよう迫っていた事が発覚した。さらに同社の丸抱えで選挙資金の支援を受けていた事も判明し、秋の叙勲(旭日重光章受章候補)を辞退した。
自由党時代から支援者などからジェネラル(将軍)と呼ばれている。ただし、本人の前では決して呼ばれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上

