日本のアマゴルフファーへの福音となりつつある・・・・・
【 究極のLesson 】 by golf kid
http://blogs.yahoo.co.jp/golfkid
参考:「カーリング」 これが究極のゴルフドリル? 2008年01月31日
Golf Kidさんこと、Toshi Hirataさん。
現在、無料でアマゴルファーへのレッスン継続中です。
間違いなく、上達します。
しかも、そのツボのほとんどが、家の中にいても体感できます。
そういえば、ゴルフをはじめている二階堂ドットコムさん。
アイアンとか1wとか、ボスのところにたくさんころがっているので、どれでも好きなものをパクりにいってください。なお、アイアンのシャフトは、「スチールに限る」そうです。また、宣伝にひっかかって、流行物の大型のキャビテイアイアンは購入しないでください。あれで覚えたら、先が苦労するそうです。
また、なにもいわずにhttp://blogs.yahoo.co.jp/golfkidさんのドリルとレッスンをやっておいてください・・・・ということです。
この【 究極のLesson 】 なんですが、
「ラウンドは月いち。練習場は週いち。という平均的な日本のアマゴルファーでもマスターは可能。いや、むしろ練習量がすくないアベレージさんほど、体感できるかもしれません」(北岡記者)
ということで、管理人・その他もHPをみながら、北岡記者からもらった「短くカットしたSW(錘つき)」でレッスン中。あ、私の腕前ですが、まだ、100を切ったことがありません。こんな私でも効果あるのでしょうか?ボスや北岡記者とラウンドすると、おまえは「ひたすら走り回れ!いい運動になる」と言われています。で、本当に走り回ります。だいたい、この2人は、本当にプレーが早いんです。上手い下手よりも、プレーが早い。きづいたら、ふたりとも「「パーです」とおわっている。うん?いつうっていたんだ!という感じです。オレから見ると・・・・。
「あのな、白州次郎さんもおっしゃっていた。まずは、プレーファーストである。これができたら、少しはゴルフを教える。これができないうちは、ゴルフは教えない」(ボス談)
ということで、実は、うちでは誰も教え魔しません。
これが不思議なんですね。
「実はね。ある程度、ゴルフがわかるようになると、他人様にゴルフ教えるなんて、そんな怖いことはできなくなるんだよ」(北岡記者談)
だから、教え魔さんは、「ゴルフの怖さがわかっていない人」(ボス談)だそうです。
しかし、うちの事務所を一歩でると、まわりは教え魔ばかりなんですがね。飲み屋でも教え魔するひとがいる・・・・ま、これはこれで楽しいけれど。
ボスや北岡記者から指摘されるのは、「アドレスとルールとマナーだけ」なのです。あとは「走れ!」だけです。たまにいいあたりでると「グッショ!」とほめてくれますけれど・・・・。
というか、この二人からみると、「まだ、教える段階に達していない」のかもしれません。でも、100打ってもゴルフはおもしろいというのが、最近わかりました。
「それが、わかれば充分。あとは自分で考えろ!」(ボス談)
最近のアドバイスですが、
「おまえは、本コースでるまえに、ショートコースを100回まわってこい。そこで、悪くてもボギー。平均してパーをとれるようにしてこい」(ボス談)といわれているので、週末にはボスの隠居先である千葉県外房のショートコース併設の練習場にいく予定です。雪ふらんだろうな?
その前に、Golf KidさんのHPをみて、毎日、「短くカットしたSW(錘つき)」であれこれやっています。本当に、室内でも体感できます。
ところで、Golf Kidさんのプロフィールなんですが、あとで転載させていただきますが、気になったのが、この中に「焼き肉やのおやじ」とありました。
例によって、
「どこの焼き肉やだ?探してこい!ゴルフも大事だが、まず焼き肉をくいにいこう。太郎さん(ボスにこのHPを教えてくれた人)もつれていこう。問題は焼き肉だ」(ボス談)と言い出しました。
私もゴルフはおつきあいできませんが、焼き肉ならおつきあできそうです。
で、その焼き肉なんですが、どうも以下のようです(間違っていたらごめんなさい)
そこで、クイズです・・・。
どこのレストランでしょうか?
Golf Kidさんこと、Toshi Hirataさんのプロフィールです。(転載)
顔も見えない私のプロフィールを少しだけ(といっても長なりそう・・・・・)
26才でゴルフを始める。(息子が生まれた年だった)
3ヶ月後知人のコンペでブービー賞(138ストローク)
シングルの友人に馬鹿にされ「3ヶ月でお前を抜いてやる」と公言00万円賭ける。
ゴルフの事を知らないといえは恐ろしい事が言えたものです(笑)
一日500球の練習を9番アイアンで3ヶ月。
3ヶ月後彼の主催のコンペに再度トライ
グロス45、46ネットー17アンダー(笑)で断とつ優勝。
一緒にまわった友人は勿論大くずれ。(ベットは私のもの)
これが私の人生を狂わした元。
才能があると信じきった私は「プロに成るしかない!」と
友人のプロに相談
「1%の望みも無い」と言われ余計に発憤
しかし26才の私を研修生で受け入れてくれるとこなど何処にもなく。
止む無く近江富士CCで管理の仕事をGETする。(当時上出裕也、柚木龍一が研修生として在籍していた)
1年後練習場のアシスタントプロとして受け入れてもらい。
1986年JPGA入会。
その後レッスンプロとして活動。
1995年中島プロの主催するトミーカップに西日本予選2位で出場。
この時アメリカ行きを決断。
レッスン活動に区切りをつけツアープロ目指すべくフロリダのオーランドに渡米。
1年間で600ラウンドをこなす。
当時アメリカで最大級のMiniTour(?)トミーアーマーツアーに参加。(Casey Martin,Joe Durant、Tim Petrovic等
現在PGAでプレーしているプレーヤーも数多くいた)
優勝スコアは3日間で少なくとも12アンダーは必要だった。
アメリカのプロの底力を見せ付けられるも、1年後何とか一勝出来る。
PGAクォリファイにも2回エントリー
2度目は4日間イーブンで回るも2アンダーカットでファーストクオリファイさクリア出来ず。
その年13才になる息子が初めて渡米。
初めてのラウンドに挑戦(日本で練習場の経験はあった)100を切る
1ヶ月滞在中一度も100を叩かず。
BESTスコアは最終日83(レギュラーティ)
驚いた私は家族揃っての渡米を決断!!
現役を引退
息子に賭ける(笑)
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【私のプロフィール】
1997年家族ともども再渡米。
この間ビザGetのため大変な苦労があったがとにかくアメリカの大地を再度踏んだ。
2年間ゴルフチャンネルのゲストコメンテーターとして外側から勉強出来た事は非常に有意義でありまた楽しいものであった。
私の相方を務めて下さった薬師寺広アナウンサーはシングルプレーヤーでもあり素晴らしい受け答えをしてくれた。
我々はオーランドでもっとも難しいとされている(あのアーノルドパーマーのホームコースでありPGAのトーナメントコースでもある
BAY HILL CLUB に居を構えメンバーとなった。
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【私のプロフィール】
1998年息子15才HDCP1になった。
時は熟したとフロリダジュニアトーナメントに初参加
80を打ってくれた(涙)
優勝スコアは72
夫婦ともに意気消沈・・・
「やっぱり早すぎたのかなぁ?」
しかし優勝スコアの72という数字にレベルの高さを感じさせられた。
そして2週間後・・
75で優勝
思わぬ拾い物に皆で喜ぶ!!
その後何と4連続優勝を勝ち取り71アベレージスコアでシリーズチャンピオンになる。
その勢いのまま BAY HILL junniorも奪取!
HDCPは+1となった。
1999年初冬
BAY HILL CLUBチャンピオンシップに友人でもありライバルでもある(今はかなり差が出来た・・笑)Ty Tryonと共に挑戦。
2人して撃沈!!
しかしフロリダジュニアは2年連続シリーズチャンピオンになる。
2000年
再度クラブチャンピオンに挑戦
引越しが決まっていたので最後の挑戦となる。
67、70、77トータル2アンダーで最年少(16才)クラブチャンピオンとなる。
最終日は逃げ切りにしびれてガチガチだった。
PGAプレーヤーの Robert Damronの持っていたレコードも塗り変えた。
HDCP +3となった。
2000、2001、2002年とHigh Schoolでステートチャンピオンシップを3年連続獲得
2002 Coastal sports of the yerarを新聞社から受賞する。
以上私の息子の自慢話でした(笑)
私としては初めての自慢です(笑)
どんなタイトルを取った時でも誉めたことがありません。(日本流?)
誉めてやりたい時もありましたが
それはこの先の厳しさを私自身が痛いほど知っているから・・・
これが私達のプロフィール
実績はこれから・・・・作ります。
レッドベターの息子アンディともライバルの仲
こちらは少し私の息子がリード
どちらが優秀なインストラクターかは息子勝負です!!(笑)
以上