石原慎太郎知事の「新銀行東京」の誕生にいきさつについて経営コンサルタントの大前研一氏が、その一部を書いている。
これがすべてというわけではないとおもうが、大変におもしろいのでぜひ一読してほしい。
東京都の銀行”、巨大赤字の真相
若干、大前さんの自慢もはいっているし、一部もっと大事なところも抜けているようだけど、なんせ、このいきさつでは、「ソフトバンク」も「日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)」も「サーベラス」も登場する。
大前研一さんの力作である。
ただし、ここには、フリーメーソンやロスチャイルドや陰謀論はでてこないので、そっちを期待する向きはパスです。
簡単に説明すると・・・・・・・・・・・
2001年8月27日に大前さんが石原都知事との食事をする。
そこで、大前さんが以下の提案。
「大銀行をはじめとして、金融機関がバタバタと倒れている時世に、東京都の運用資金など日によって9兆円にも達するお金を、1000万円以上保証されない都市銀行に預けていていいのか。危ないのではないか」と話した。そして、「東京都が銀行を作ってはどうか」
これは、「石原都知事メトロポリタン銀行設立構想」として翌日に新聞にでる。
その直後に、大塚俊郎出納長(当時。現副知事)が大前氏を訪問。
大前氏が「特命プロジェクトを立ち上げる」
ただし、大前氏は、ボランティアで協力。
大前氏案では、
・メトロポリタン銀行は、既存の銀行の支店を拝借する形のバーチャルな銀行を想定
・日本のすべての銀行に「東京都支店」を用意してもらい、それをバーチャルな銀行として活用する
・既存の銀行とは共存でき、彼らの業務を圧迫しない。また東京都として新たなハコモノを作らないで済む。もちろんATMなども既存のものを利用する。
・資金は都庁の一角にメトロポリタン銀行本店さらに都の資金は都庁の一角にメトロポリタン銀行本店を作り、そこに貯めておく。
・この本店開設に対しては国から銀行ライセンスを取得しなくてはならないが、それを何らかの理由で拒否された場合には小さな銀行を買収すればいい。
・集まってきた資金を主として都市の基盤整備に活用する。
・ただし、東京都が自分で経営してはいけない。役人や政治家に銀行が経営できるはずがない
・日本初の本格的なインターネットバンク
ところが、石原都知事は、
「大銀行にもできない中小企業の支援」と「ベンチャーへの支援」の二つを推進していくと言い出した。
大前氏は、
・東京都の役人でベンチャー企業の目利きができる人材がいるのか。目利きもできないのに、支援をすることができるのか・・・・
・中小企業への貸出しは大銀行でさえも不得手な領域である・・・
と指摘して、
2002年の半ばに大前氏は、手を引いた。
しかし、手をひいた後に大前氏は一度だけ接触した。
大前氏はこう続ける・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは日本債権信用銀行(日債銀)が破綻して出来たあおぞら銀行の株式が売りに出るかもしれない、というニュースが飛び込んできたからだ。これなら、銀行そのものだし、不良債権は国民が一掃してくれていたし、おまけにまだ再出発間もないころで安く買えそうだったからである。
そのニュースというのは、あおぞら銀行の筆頭株主であったソフトバンクの孫氏が通信事業に専念するために持ち株の売却先を探している状態だというもの。あおぞら銀行の経営にはソフトバンクを筆頭にオリックスと東京海上、そして米系ファンドのサーベラスの4社が関与していた。持ち株を誰かに売るときには残る3社の合意が必要との取り決めがあったので、まずわたしはオリックスの宮内さんに話しに行った。
しかし彼は、孫さんが売りたいというなら孫さんがその提案を持って来るべきで、それを見て判断するということであった。当時わたしの経営する大前ビジネスディベロプメントの社長はマッキンゼー時代の同僚でもあった余語邦彦(その後産業再生機構常務からカネボウ化粧品の会長を務め、現在アルゼ社長)であったが、彼を伴って孫氏と話をしに行った。「東京都が銀行設立の計画を持っている。あおぞら銀行を売る気はないか」と打診してみたのだ。
すると、「そんないい話があるのなら、売りたい」と乗ってきたのである。そこで、すぐに石原都知事と大塚出納長に話を持っていった。だが、二人は納得しなかった。というのも、「一度国民の税金を投入して救った銀行を、もう一度東京都が買うのは二重に投資したような印象を与えてしまうから、議会に説明できない」という理由であった。
わたしにはどうにもこの理屈が理解できなかった。そのころあおぞら銀行は売りに出されていて、米国の投資ファンド、サーベラスが買いたがっていたという状況なのである。ソフトバンクは、東京都が買ってくれるならその方が望ましいと考えていた。東京都も銀行を持ちたがっているのだから、両想いのはずである。
都議会にはわたしが説明に行ってもいいし、またもし予算が付かないので買えないのであれば、誰かにリスクをとってもらいブリッジファイナンスで買っておき、議会の承認と予算がおりた段階で都が買うというシナリオも十分可能だ、という代案も説明した。もし東京都が買わなかったらサーベラスに持っていかれるだけだ。そうこうするうちに結局、サーベラスがあおぞら銀行を買うことになった。
その後、わたしが手を引いてから1年くらい経ってから、わたしの提案とはまったく違う形の新銀行東京が2003年に誕生している。そしてこの銀行は“専門家”を集めて2005年の4月1日から開業している。支店を9つ持つなど、従来の銀行と変わらない姿である。その結果が、現在の経営悪化だ。
報道によれば、2006年9月中間期の最終損益が154億円の赤字ということだ。開業当初の貸し倒れが多かったために不良債権処理損失は108億円にも膨らんだ。また民間銀行でも融資を拡大しはじめた時期でもあり、中小企業への融資はそれほど多くもならなかった。これも民間と競合するかたちで経営した結果といえるだろう。
サーベラスはあおぞら銀行を2006年11月14日に東京証券市場に上場しその持ち分だけで上場益を5000億円は上げただろう。昨年度だけで100億円の赤字に苦しむ新銀行東京の運命と比べてみたときに「何たること!」と思うのはわたしだけではあるまい。
そして大前氏はこうむすぶ・・・・・・・・・・・・・
こういう経緯を知っている者から見ると、新銀行東京の経営悪化は人災としか思えない。言い出しっぺであるわたしにとっては複雑であるが、悲しむべきことである。
いまここで、少なくともわたしの知っていたころの姿を公開した。知事およびそのスタッフは、「その後」何が起こったのか、「第二幕」を都民の前に開示する必要があるだろう。開業してからの「第三幕」は金融庁が調査し、当然いずれの日にか都民の前に開示されるだろうから。
今の段階ではわたしの恐れていた「民業の圧迫」にはなっていない、というのが不幸中の幸い、と言えば皮肉に聞こえるだろうか。
大前さん、ご苦労さまでした。
以上