二宮尊徳という人がいた。
世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言
戦後、GHQの方針により、全国の小学校にあった、二宮尊徳(金治郎)の銅像は破壊され、撤去された。
ボスのお父様が、日教組やら、教育委員会と喧嘩して、北海道の田舎の中学校に飛ばされたことがあったらしい。児童数がわずか30人という田舎の中学校だ。
お父様が赴任したときに、地元の元地主さんが、父にいった。
「実は、二宮尊徳さんの銅像が、うちの蔵にある。破壊して、撤去するにはしのびないので、こっそり保存していました」。
ボスのお父様は、「それはいい。その銅像を復活させよう」といった。
当然、復活させた。
どこからも補助金はでない。
すべて手弁当。地元の土建屋のオヤジが、コンクリやら、セメントもってきてかためる。運搬は、それこそ住民みんなでやった。お父様の友人だった彫刻家が東京からやってきた。若干きずついた彫刻を修復するためだ。そして、きれいに修復した。みんな手弁当だ。
しかし、だが、それは、強烈な反発にあった。
いや、まってくれ・・・・・
「地元住民はだれも反対しなかった・・・・・」(ボス談)
そうだ。
「オレはまだ、ガキだったから、よく覚えていないが・・・
オヤジやら、地元の住民が手弁当で復活させた二宮尊徳さんの銅像は、その除幕式を迎える前に、正体不明のだれかによって、きれいに破壊された。だれが、やったかわからない。多分、深夜の犯行だろう。見事に粉々にされていた。地元の駐在さんは、必死に捜査しようとしたが、無駄だった。教育委員会も無視した。みんな、悲しんだ。だが、うちのオヤジはいった。『我々は、まだまだ頑張れる!日本人だから・・・・』。これはよく覚えている。
と、同時に、わかった。オレが今、50歳だから、40年ぐらいも前だろう。
教育委員会や、文部省の官僚の事なかれ主義は、すでにそこから、日教組におかされていた。そして、現在。それは、的中した。
権利だけを、おしえて義務を教えない教育。権利だけが跋扈する。
父や母や、ご先祖様に敬愛の念を持たせない教育。
家族や、友情に敬愛の情をもたせない教育。
勤勉を教えない教育。
歴然とある能力差を教えない教育。
そして、そこからくる悪平等主義。
日本人は勤勉だった。そして、本来、勤勉である。
拝金主義を、軽蔑する矜恃があった。
貧乏でも、それをけっして他人のせいにしない向上心があった。
だいたい、金貸しや、パチンコ屋といった、金儲け主義を、恥じる潔さがあった。こいつらは、表にでることを恥じながら商売した。
自分の子供をもって、おもうのは、東京では、多くの人が自分の子供を私立の学校にいれるたがる。これには、ある程度の、資金的な裏付けがいる。それでも、子供を私立の学校にいれる。もしくは公立でも、そこそこ有名校にいれる。これは悲しいことだが、『日教組教育の影響を受けたくない』。という、エゴイズムがはたらくからだ。
日教組を個別に批判する気はいまさらない。
問題は、そこから、どうたちあがるかだ。
能力差はある。学力差もある。格差もあるだろう。
その現実からすべてははじまる。
冷酷かもしれないが、その現実をおしえなくて何をおしえるのだろうか?
そこから、はじまるのだろう。
我々は、まだまだ頑張れる!とおもう。
これから、本格的な不況がくるだろう。
だが、まだまだ、我々は頑張れる。
まだまだ、能力はある」(ボス談)
日教組は、すでに教育委員会を汚染している。
一部の文部省を汚染している。
さらに各地域にある教育大や学芸大には、日教組そのままの教授がいる。
マスコミは当然のごとく、その思想がいまだに正しいとおもっている人が多数いる。
それは、ことなかれ主義と、日教組の方針が妥協した結果だ。
権利は、義務との裏返しの関係だろう。
やはり、我々は、まだまだ、頑張れる・・・・と私もおもう。
以上、なんとなくオフイス・マツナガの方針です。