鳩山邦夫総務相が日本郵政の社長人事問題で、辞表を提出した。
 ここで、
「政府へ尋問の筋(すじ)これ有り」という西郷隆盛の言を引用した。

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 いわゆる「西南戦争」とよばれる西郷らの挙兵にあたり、彼らが発した文書である。

 原文は以下。

拙者どもこと、先般御暇の上、非役にて帰県致し居候処、今般“政府へ尋問の筋これ有り”、不日に当地発程致候間、お含みのため此段届け出候、もっとも旧兵隊の者ども随行し、多人数出立致候間、人民動揺致さざるよう、一層御保護御依頼に及び候也
(「お暇を頂いて帰省していましたが、このたび、政府へ尋問したいことがありますので上京します。大人数となりますが、人民が動揺しないようお気をつけ下さい」)

 では、この時の、「政府への尋問の筋」とは、何であったのか?

 当方の遠藤顧問が緊急寄稿です。

遠藤顧問の歴史だよ!  
特別版二十一回目 西郷隆盛について
by 遠藤顧問


 
・・・・・・・・・それでは、「政府へ尋問の筋」とは何であったのか。

 それは鹿児島で捕縛された警視庁の(少)警部、中原尚雄が自白した「西郷暗殺計画」であった。当時、大警視の川路利良(大久保利通の腹心と見られた)は、鹿児島県出身の警部・巡査である中原ら二十余名を“休暇帰省”と称して鹿児島に潜入させていた。彼らは、政府が警戒していた西郷ら私学校幹部や私学校生徒の動向を偵察すると同時に、西郷一派の分断工作を試みようとしていた。
 ある時、中原は知人に「西郷を“しさつ”するために戻ってきた」と話した(他に、「自分は刺し違えても西郷を止める」と言ったという説もある。なお山縣有朋によれば、“しさつ”は“視察”であって、それが“刺殺”に間違えられたという)。これが「政府による西郷暗殺の陰謀」の証拠と判断されて、中原は私学校生徒らに捕縛された。そして、激しい尋問(拷問?)の末、彼は「西郷暗殺計画」があったことを自白したのである・・・・・・・・・・(本文より〜)


 西郷隆盛を尊敬し、愛読する鳩山邦夫氏がこの歴史的な由来をしらぬはずはない。では、西郷に対して、「西郷暗殺計画」があったとするなら、鳩山に対して「郵政・鳩山暗殺計画」(当方ボスが命名)があったのであろうか?

「ま、暗殺計画というと大げさだが、それに似たようなことがあったのだろう。それを鳩山は思いとどまり、話していない。オレも、今は、話すべきでないとは思う。
 当時の西郷隆盛は、正三位、現職の陸軍大将であった。もし、彼を暗殺する計画が政府内に存在したとなれば、これは上京して政府に問責すべきである。これは当然のことだろう。ま、ここは邪推をしてもはじまらない。そのうち明らかになるだろう。ここは、ひとつ西郷隆盛について、もう一度、歴史をひもといてみたい」(当方ボス談)

 ということで、特別版として遠藤顧問の緊急寄稿です。

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特別版二十一回目 西郷隆盛について 2009年6月16日