今週発売の「週刊新潮」2009年7月16日号。
「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」
日本ルネッサンス「拡大版」 櫻井よしこ
集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」沖縄戦で渡嘉敷島住民に対し日本軍が<集団自決を命令した>とされる件は果たして真実か? 沖縄出身の作家・上原正稔氏や「うらそえ文藝」の星雅彦編集長が長年の取材を通して知った事実と<沖縄メディア>の関係について、櫻井よしこ氏が4Pでレポート。
沖縄二紙の捏造体質に対し勇気ある告発をした沖縄在住の作家星雅彦氏と同じくドキュメンタリー作家の上原正稔氏へのインタビューを中心に沖縄の「物言えぬ言論封殺社会」を激しく糾弾している。
はおもしろい。
これは、ボスや辻野記者など古手の記者ならしっているし、経験してきたことなのだけど、マスコミでは「沖縄の集団自決は軍命である」というのは、歴史的な事実にして、真実である。それに対して、異をとなえた原稿は「ボツになる!」という黄金の法則があった。いや、今もある。
「沖縄の集団自決に軍命があったか、否か・・・。は、長い間、マスコミでタブーにされてきた。それは、ややもすると感情論にながれるところがあった。しかし、歴史的にみる場合は、その事実や史実を大事にしなくてはならない。
これは、ジャーナリズムの仕事だという側面もあるけれど、えてして、ジャーナリズムは、今という同時代性に流されてしまう。この同時代性というのは、曲者で、歴史的な検証をないがしろにしてしまうところがある。いや、時には、無視して、ねつ造するところがある。
ま、この辺は、インターネットが発達してきて、多くの人が、『実はジャーナリズムは信用出来ない』ということがわかったきた。オレなんかは、『ジャーナリストを信用するな!』といつもいっているのだが・・・。
本当は、これはゆゆしき出来事であるのだが、多くのマスコミでは、この読者のシビアにして、冷静にして、客観的な視点を無視している嫌いがある。
『小泉劇場』に流されたマスメディア。『政権交代劇場』に流されつつあるマスメディア。これは、ジャーナリズムの視点にたって、少し言い訳すると、同時代性を的確に拾ったモノであるとなるのだが、だいたい、ジャーナリズムにおいての、同時代性という用語自体が、唯物史観の名残だったわけだ。
ま、オレもその手の名残にかなり侵されているわけで、うちで一番、侵されているのは辻野記者なのだが、そういう意味では、辻野記者は、今のマスメディアに依拠する典型的なジャーナリストなわけだ。
で、何をいいたいかというと、『ジャーナリズムは信用するな』ということ。
そして、信用されていないことを、前提にして、記者は取材して、記事を書かなくてはならない。せめても、この自覚をもつことができるどうか・・・今のオレにはそれぐらいしかいえない。
そこで、歴史学徒としての、訓練をうけてきたうちの遠藤顧問の出番になるわけだ。歴史検証とはなにか・・・・・ま、そういうことをうちでやっているわけです。
半分は、オレ自身の言い訳でもあり、懺悔でもあるわけだな・・・。
つまり、同時代性というまやかしの記事を随分書いてきたからな。
そういうわけです」(当方ボス談)
うちのボスあたりが、そういうことを「平然と言い出す」ぐらいだから、実は、マスメディアや、ジャーナリズムといわれている世界でも地殻変動がおきつつあるわけです。
帰国子女である北岡記者などは、もっと過激で・・・・
「今の、マスメディアの不況が、そうした地殻変動の契機になっている。つまり、今の日本の商業ジャーナリストといわれている連中が、全員失業してちょうどよくなる」(北岡記者談)
さて、同業者のみなさん、ここは、いさぎよく失業しましょう。
コンビニのアルバイトや、パソコンのデータ打ち込みのアルバイトなら紹介します。
というわけで、当方の【遠藤顧問の「歴史」だよ!】 というコラムがあるわけです。ま、ネットという表現手段をいただいたから、当サイトの実質的な編集長であるボスがなどが、こうしたコラムを掲載できるようになった・・・という側面があります。
櫻井よしこ さんは、週刊新潮で、
「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」
という記事をかいているけれど、実はうちでは、2年前に、当方のボスが、遠藤顧問に以下の原稿を依頼している。
【遠藤顧問の「歴史」だよ!】
沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題 “第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日
2年前の記事だけど、実は、このコラムを掲載したときに、同業者からは、
「オフイス・マツナガは右翼に転向したのか?」といわれた。
今、読むと「右翼」でもなんでもないコラムなのだけど、2年前のマスコミにおける同時代性ではこのコラムは「右翼」とレッテルをはられてしまうのだ。
つまり、これだけマスコミに同時代性は「インチキだという証拠」(当方ボス談)なわけです。
そういうことで、2年前の記事を再録させていただきます。
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【遠藤顧問の「歴史」だよ!】
沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題 “第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日
文責:遠藤顧問
1. 平成19年10月4日の代表質問
公明党及び野党各党は、来春から使われる高校教科書で、沖縄戦における住民の集団自決に「日本軍の強制があった」とする記述が削除された問題を取り上げ、事実上の記述復活を望む要旨の発言をした。
2. 実際の検定結果の例
(1) 山川出版社・日本史A
検定前:日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。
検定後:そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。
(2) 東京書籍・日本史A
検定前:日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。
検定後:「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。
(3) 三省堂・日本史A、日本史B
検定前:日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。
検定後:追いつめられて「集団自決」した人や戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。
(4) 清水書院・日本史B
検定前:なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。
検定後:なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。
これらを読めば判るように、検定後の教科書は日本軍の関与を否定するものではない。したがって、今回の検定問題に関して「集団自決について日本軍の関与があったことは否定できない」(公明党太田代表)とか「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」(民主党小沢代表)といった批判はあたらない。
また、「集団自決が日本軍の強制なしに起こり得なかったことは明らかだ。政府は自らの責任で検定意見の撤回と強制記述を回復すべきだ」(共産党志井委員長)とか「教科書から沖縄戦の真実を歪曲・改竄することは断じて許されない」(社民党照屋寛徳衆院議員)といった批判もあるが、今回の検定は、そもそも「軍が命令または強制して住民に集団自決をさせたことが確定あるいは断定できない」から修正意見が付いたのである。
3. 沖縄戦における集団自殺とは
昭和20年3月、米軍は沖縄本島の西55Kmに位置する慶良間諸島に激しい空襲や艦砲射撃を加えて上陸した。その際、座間味島と渡嘉敷島では数百人の追いつめられた村民が集団自決による凄惨な最期を遂げた。
驚くべきことには、上記の教科書には、米軍の想像を絶するような攻撃が一般住民をパニックに陥れたことが強調されていない。
曽野綾子氏は次のように述べている。「米軍は、この島に、非戦闘員が住んでいることを充分知っていた。すでにサイパンで追いつめられた日本人の婦女子がどのような最期を遂げたかも知らないではなかった。それを知りつつ、米軍は山容が変るほど艦砲を撃ち込んだのである。誰が悪いかと言えば、最も残忍なのは米軍であろう。彼らは、日本人の非戦闘員がいるなどということに、何ら道義的なものも感じないでいられたのであろう。」(『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!』ワック、310頁)
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
著者:曽野 綾子
販売元:ワック
発売日:2006-05
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戦争の悲惨さ、残忍さを示したいのなら、教科書の執筆者はこの事実こそ記述しなければならないはずだ。
4. 集団自決が軍の命令または強制であったとする最初の文献
『沖縄戦記・鉄の暴風』沖縄タイムス、昭和25年8月15日初版
沖縄戦記 鉄の暴風
販売元:沖縄タイムス社
発売日:1993-08
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沖縄タイムス社は昭和23年創立。上記の本は太田良博記者の取材を中心に纏められた。
これ以降、他の著作における「集団自決」の主な内容は、この本の記述が整理されたり、書き加えられたりして成立したものが多い。
5.『沖縄戦記・鉄の暴風』の信憑性に疑問を呈したもの
(1)曽野綾子『ある神話の背景』文藝春秋、昭和48年
ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決 (1973年)
著者:曽野 綾子
販売元:文芸春秋
発売日:1973
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これは渡嘉敷島の集団自決に関して書かれたものであるが、
?太田良博氏が取材した主な証言者は当時、現場にいなかったこと、
?隊長の集団自決命令が下された場面を示す記述が太田氏の想像の産物に過ぎなかったこと、
?当時の日本軍現地部隊の「陣中日誌」(ただし、取り纏められて提出されたのは昭和45年8月)や生き残り兵士の証言から「集団自決命令」はついに確認できなかったこと、などが明らかにされた。
なお、この本は2006年5月、ワックから『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!』と改題され出版されている。
(2)神戸新聞(昭和60年7月30日付、61年6月6日付、62年4月18日付)及び東京新聞(昭和62年4月23日付)の記事
これらは座間味島の集団自決に関するものであるが、
?生き残った元女子青年団員が娘に「隊長の自決命令はなかった」と告白したこと、隊長のもとに玉砕のための弾薬をもらいに行ったが帰されてしまったこと、遺族が擁護法に基づく年金を受け取れるように事実と違う証言をしたこと、
?集団自決した助役の弟が「集団自決は兄の命令で行われた。私は遺族補償のため、やむを得ず、隊長命令として(旧厚生省に)申請した」と証言したことなどが報じられた。
◎なお、集団自決を強制したとされた元少佐らは、岩波書店及び大江健三郎氏に対し、平成17年8月に訴訟をおこした(ネットで「沖縄戦集団自決冤罪訴訟」を検索すると、現在までの原告・被告のやり取りが判る)。
5. 検定基準
「義務教育諸学校教科用図書検定基準」と「高等学校教科用図書検定基準」があり、どちらもその中の〔地理歴史科(「地図」を除く)〕2.選択・扱い及び組織・分量の項目に次の一条がある。
未確定な時事的事項について断定的に記述しているところはないこと
今回の検定における修正意見は、高等学校の教科書に対してのみ付せられたのであって、小学校・中学校の教科書は修正されていないのが事実である。
6. 第二の「教科書誤報事件」にしないためには
今回の検定結果は、集団自決に関する研究の現状を鑑みれば、当然の結果である。現状では、住民に対する集団自決命令があったことは確定できていないのである。したがって、教科書に「日本軍に集団自決を強制された」というような断定的表現を使用してはならないのである。
昭和57年に起こった「教科書誤報事件」では、『日本軍が華北に「侵略」』という教科書の記述が検定によって『日本軍が華北に「進出」』と書き換えさせられた、と多くのマスコミが報じて大問題となった(日本テレビのマヌケな記者の報告が原因のようだが、それをろくな調査もせず、各社が一斉に報道してしまったらしい)。
当然、すぐ後の調査で、そのような書き換えの事実はなかったことが判明したが、それにもかかわらず、韓国やシナの誤報を受けての抗議に日本政府は謝罪し、挙句の果てに、自国の教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という理解不能の一文を追加してしまったのである。
今回の「集団自決」に関する検定も、「命令があった」とか「強制された」といった断定的表現は削除すべしというものであって、公明党代表や民主党代表が言うような「日本軍の関与がまったくなかった」ことにするとか、ましてや「集団自決そのものの記述を削除せよ」というものでは決してない。
ところが、マスコミの報道の中には、本件に対する国民の理解不足につけこんで、『教科書検定によって、「集団自決」そのものが削除された』ように受け取れる報道も出ている。
先月29日に沖縄県宣野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」においても、参加者の中には事実を見極めず(あるいは事実を知らず)、「集団自決に軍の関与がなかったはずはない」とか「沖縄で集団自決があった事実を検定で削除されてたまるか」という気持ちで集まった一般の人も多かったのではないか。
当日の県民大会の参加者が「戦争のための教育を許すな!」と書かれたプラカードを持っている写真を見たが、今回の検定のどこが「戦争のための教育」を推進しているというのか?全く理解に苦しむ。
繰り返すが、今回の検定は、「未確定な時事的事項について断定的に記述しているところはないこと」という規定に沿って修正意見が出されたに過ぎない。
この当然の対応が何故今までなされてこなかったのか?今までの教科書検定官は真面目に職務を遂行していたのか?教育という国民的問題の重要性から考えて、むしろ、この点のほうが大問題であり、国会や県民大会で追及されるべき問題であろう。
10月4日の衆参代表質問の中には、
「9月29日に党派を超えて抗議するために集まった11万人(実際は4万人前後という)に上る沖縄県民の心を首相はどう受け止めているのか」(民主党輿石参議院会長)とか
『歴史の歪曲が二度と起こらないように、「従軍」慰安婦における「河野談話」と同じく、「総理談話」を行う考えはないか』(国民新党・そうぞう・無所属の会 下地幹郎衆院議員)といった発言もあった。
先の「教科書誤報事件」を思い出してほしい。あるいは知らない人は、よく調べて欲しい。
「侵略」という表現が「進出」に書き換えられた事実はなかったのに、これはマスコミの誤報であったのに、謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、いつのまにか教科書検定に「近隣諸国条項」なるものが加えられ、結果的に日本の教科書の記述は外国に対する意味不明の「必要な配慮」に縛られることになったのである。
問題をすりかえてはならない。また、すりかえる者たちの口車に乗ってはならない。
今回の検定問題も、教科書では「未確定な時事的事項については断定的に記述しない」という当たり前の原則が貫かれただけなのに、「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」とか「教科書から沖縄戦の真実を歪曲・改竄することは断じて許されない」とか「戦争のための教育を許すな!」といった謂れなき非難・批判が横行しつつある。
これらの謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、また、いつのまにか、教科書検定に新たな規制事項が加えられるかもしれない。
最後に松本藤一弁護士が指摘されている沖縄における歴史的事実を一つ加えておきたい(『正論』2005年9月号)。
座間味島と渡嘉敷島で追いつめられた村民が集団自決による凄惨な最期を遂げた日の約4ヶ月前、昭和19年11月3日、那覇市の波上宮で県民決起集会が開かれ、「県民一丸となって戦おう、元気な者は皆戦おう、老人と婦女子は日本古来の伝統にのっとり、後顧の憂いなからしめるために集団自決しよう」と決議されたのであった。
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以上