「地方分権の歴史を書け」とマツナガから言われた時、それはすでに書いた『時代を超 えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系』『明治維新の謎』『日本における民主主義について』などで部分的に言及しているので、それを見てくれ、と私は言った。

 しかし、彼は「それは、それとして、これはこれとしよう。で、これはそれだから、あれについて・・・。

 とにかく、書いてよ」と言う始末であった。

 日本は現在、民主党政権が誕生し、国民の多くは、従来の政治が「変わる」ことをとても期待している。もちろん、私もその中の一人である。
 ただ、恥ずかしながら、私は今の政治で問題となっている(らしい)「地方分権」の話をよく理解していない。そこで、『ウィキペディア』の「地方分権」の項目を見たら、「地方主権」という初めて見る用語が書いてあって、正直、驚いたのである。

 だが、その説明には、『「地方主権」における「主権」という語は、財源と権限における「主導権」の略、若しくは「主体性」の比喩表現として用いられており、「国家の統治権」を意味する「主権」とは異なる』と書かれていたので、少々安心した。

 いずれにせよ、今の政治的話題である「地方分権」の内容について、私はさっぱり判らない。それとは関わりなく、日本の封建制、特にその中に見られる地方分権型の領主権といったものの歴史的性格についてまとめることは、面倒だが、可能である、とマツナガに言ってしまった・・・わけである。

 もちろん、今回の原稿の内容が、その責を果せたかどうか、非常に不安であるが、私なりに「変わらないもの」「連続しているもの」の重要性だけは、強調させて頂いたつもりである。
もし、遠い将来、現在の民主党政権が行う“大改革”が歴史的に評価される場合があれば、尾藤正英氏のような優れた歴史家からは、「変わらないもの」「連続しているもの」の存在が、きっと注視されることであろう。

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遠藤顧問の歴史だよ!  
第二十五回目 地方分権の歴史的性格