以上
追記:

2011/04/22 13:22:17
戸籍確認できないので、(今簡単に取ると犯罪になる)wkiki やら本人の話として、本籍は岡山県。出生は山口県宇部市 というあたりで・・・http://bit.ly/eOhRC6 RT @penate3: @officematsunaga 菅は岡山ではなかったのかな?
戸籍確認できないので、(今簡単に取ると犯罪になる)wkiki やら本人の話として、本籍は岡山県。出生は山口県宇部市 というあたりで・・・http://bit.ly/eOhRC6 RT @penate3: @officematsunaga 菅は岡山ではなかったのかな?
参考記事:
「3・11」その前日は東京大空襲の記念日、日露戦争奉天会戦「陸軍記念日」だった(特別版無料公開)
・・・・みちのくは平安の昔、坂上田村麻呂の蝦夷征伐以来、いくさに勝ったことのない土地である。
・・・・東北は近代までどの地方よりも「餓死」と背中合わせの過酷な風土だった。
つい六、七〇年前までみちのくでは間引きも、娘の身売りもあった。
石原莞爾の満洲建国の夢も、二・二六事件の青年将校の憂国もその端は飢饉による東北の疲弊にあったのではなかったか。
そういえば地震で東京の最初の死者はあの「戒厳令司令部」(九段会館)で出た。
深沢七郎は『東北の神武たち』でその風土を土着のアニミズムで神話的に描いている。
だから宮沢賢治は「雨ニモマケズ」と唱えるしかなかったのだ。
農村改善社の会運動だけでは救われない。
賢治が村の「宗教者」にならざるを得なかったのはその自然の過酷さにある。
みちのくの人間ほど自然を畏怖し、自然に忍従する「耐える民」はいない。
いま少しくこころ安らぐのは被災地にボランティアという名の多くの「宮沢賢治」をみるからである。
そこには寺田寅彦が『日本人の自然観』で書いた「天然の無常」という身に染みついた生きる「かなしみ」が連綿としてある。
・・・・・・・・・
