オフイス・マツナガのブログ

カテゴリ: 伊藤博一の事件の眼

 

「伊藤博一の事件の眼」
第八回目 中日新聞社副社長のスキャンダル

梗概:

平成12年、自民党は森喜朗政権下。首相自身の買春疑惑に続いて、中川秀直・官房長官(当時)の不倫同棲騒動と揺れていた頃、中日新聞社の代表取締役副社長で、東京本社(東京新聞発行)代表(当時)のK氏から、森首相への分散献金の疑いがもちあがった。取材を進めてみると、 K氏の三男は「森喜朗事務所」の現役秘書だった。マスコミトップの見識とは・・・

伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日
第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日
第三回目 故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」2010年3月23日
第四回目 沈黙を守り続けた男「海部八郎」、山崎豊子の小説「不毛地帯」に登場する、「東京商事・鮫島航空機部長」のモデルといわれている。2010年3月26日
第五回目 北海道の政商・岩澤靖 2010年4月2日
第六回目 博打で転落した元狛江市長「石井三雄」2010年4月9日
第七回目 橋本剛(全國明) 2010年4月14日

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中日新聞社副社長のスキャンダル2010年4月21日



 


橋本剛(全國明)       
「伊藤博一の事件の眼」
第七回目 橋本剛(全國明)



梗概:

三井埠頭の株買い占めの中心人物として登場した橋本剛(全國明)。謎の部分が多かった橋本の最期は何ともあっけないものだった。92年9月30日午前5時10分頃、東京・港区赤坂2丁目の5階建て雑居ビルの脇に男が倒れているのを、そのビルの住人が発見。救急車で近くの病院に搬送されたが、全身打撲で男は約3時間半後に死亡した。これが橋本だった・・・・。

伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


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橋本剛(全國明) 2010年4月14日



「伊藤博一の事件の眼」
第六回目 博打で転落した元狛江市長「石井三雄」



梗概:

 元狛江市長「石井三雄」・・・それにしても、これほど見事に博打にはまった政治家は、ラスベガスで150万ドル(当時のレートで約4億5000万円)も負けたハマコーこと浜田幸一氏以来のことだった。
 汚職事件では1998年、東京高裁は“裸の王様”の石井氏に懲役2年、追徴金400万円の判決を下し、服役した・・・。

伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日
第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日
第三回目 故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」2010年3月23日
第四回目 沈黙を守り続けた男「海部八郎」、山崎豊子の小説「不毛地帯」に登場する、「東京商事・鮫島航空機部長」のモデルといわれている。2010年3月26日
第五回目 北海道の政商・岩澤靖 2010年4月2日

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博打で転落した元狛江市長「石井三雄」2010年4月9日


 


「伊藤博一の事件の眼」

第五回目 北海道の政商・岩澤靖


梗概:

 北海道の政商とよばれた岩澤靖。
 彼の周辺には、「イ・アイ・イ」グループを率いた、元東京協和信組理事長の高橋治則、旧誠備グループの加藤暠らがいた。
 岩澤靖の葬儀で、娘婿に当たる高橋治則は、「晩年は友人や夫婦で海外旅行に行ったり、私たちと食事をしたり、穏やかな暮らしでした」と弔辞を読んだ。
 岩澤の葬儀に参列した人の中に、意外な人物の姿があった。その人物とは、リクルート事件で被告に転じた高石邦夫・元文部事務次官だった。


伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日
第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日
第三回目 故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」2010年3月23日
第四回目 沈黙を守り続けた男「海部八郎」、山崎豊子の小説「不毛地帯」に登場する、「東京商事・鮫島航空機部長」のモデルといわれている。2010年3月26日

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北海道の政商・岩澤靖 2010年4月2日


「伊藤博一の事件の眼」
第四回目 沈黙を守り続けた男「海部八郎」、山崎豊子の小説「不毛地帯」に登場する、「東京商事・鮫島航空機部長」のモデルといわれている。

梗概:

・・・・「ダグラス・グラマン事件」の当事者として世間を騒がせ、その後、外為法違反と偽証容疑で懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた日商岩井の元副社長・海部八郎。そこであがった疑惑の政治家は岸信介、福田赳夫、松野頼三、中曽根康弘。だが、海部八郎は沈黙したために罪に問われたが、そのおかげで助かった政治家は間違いなくいたはずだ・・・・

 
伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日

第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日

第三回目 故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」2010年3月23日


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沈黙を守り続けた男「海部八郎」、山崎豊子の小説「不毛地帯」に登場する、「東京商事・鮫島航空機部長」のモデルといわれている。 2010年3月26日


「伊藤博一の事件の眼」
第三回目 故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」


梗概:

・・・・故金大中元大統領が肺炎で入院する直前の昨年6月、ソウルの自宅で面会したという原田重雄氏。金元大統領から親愛の情をこめて「社長」と呼ばれ、支援者たちからも「最大の恩人」として慕われた彼も、もう80歳になろうという年齢だ。実はこの原田不動産の原田重雄社長、リクルート事件、イトマン事件でも重要な脇役として登場するのだが・・・

伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日
第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日


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故金大中元大統領とリクルート事件と原田不動産「原田重雄」 2010年3月23日


「伊藤博一の事件の眼」
第二回目 「地上げの帝王」といわれた早坂太吉



梗概:

・・・・「地上げの帝王」といわれた早坂太吉。裏街道をひた走ってきた早坂の人脈は、それまでマスコミで取り沙汰されただけでも、暴力団、街金業者、事件屋、同和ゴロ、ブローカーといった人種から、政治家、企業人、マスコミ人と極めて多彩である。

 その早坂太吉を騙したのが、「詐欺師になるために生まれてきた男」須江満美だった。その早坂太吉とインタビューしたのは・・・・


伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」2010年3月7日

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「地上げの帝王」といわれた早坂太吉 2010年3月16日


 新年度にむけて、新連載開始です。
 当方ボスの大先輩にあたり、「事件関係の取材でこまったら、伊藤さんに聞く。ま、これが定番なわけで、伊藤さんがわからんことがあったら、誰もわかっていない・・・つまり、大スクープか、大誤報の可能性がある。つまり、重要な指針となる。そういう人である」(当方ボス談)

 基本的に「でたとこ勝負」的なボスとはちがい、「資料は整理整頓されており、取材も緻密。しかも、相談すれば、酔っていようが、寝ていようが、デート中であろうが、いつも親身になってくれる。どこかのボスみたいに、『うん?よろしく!』といって丸投げすることも、『そんなこと自分で考えろ!』とうっちゃることもない・・・」(辻野記者談)

 というのが伊藤さんだ。

 第一回目は、「地産」の竹井博友氏である。


「伊藤博一の事件の眼」
第一回目 マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友



梗概:

・・・・新聞記者出身で脱サラして事業を始めるケースもあるが、その後大成功を収めたという話はあまり聞いたためしがない。巷間よく言われるように、頭を下げることに慣れていないうえに、プライドだけは高い。新聞記者OBに共通した性癖で、要するに「つぶしがきかない」。
 社会部記者から実業界に転じて事業を次々に拡大、逆にマスコミに追われる立場になることなど極めて異例中の異例のことだ。その人物こそが、竹井博友だ。
 竹井博友は、読売新聞社社会部記者出身。読売新聞社の大阪進出、名古屋進出の大功労者であり、現「徳間書店」の前身にあたる「アサヒ芸能新聞」を創設している。
 その後、不動産業に進出、次々と事業を拡大。今でいうところのM&A方式で相次ぐ株買い占めによる企業買収を行い、わが国経済界のフィクサー、調整役として大きくクローズアップされ、兜町では、仕手筋として恐れられた。
 だが、その晩年は・・。
 竹井博友は、2003年7月、この世を去っている。享年83、それは栄光と挫折が交錯する波乱に満ちた一生・・・・


伊藤博一プロフィール

昭和27年11月福岡県生まれ。大学院修士課程修了。
全国紙社会部退職後、経済誌、週刊誌、月刊誌、夕刊紙などで主に事件の取材、執筆活動を展開している。近年は「実話時報」(発行=竹書房)に「疾風怒涛の記者魂」を連載中。


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マスコミ出身の異色の実業家・竹井博友 「伊藤博一の事件の眼」 2010年3月7日

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